「 ただ、それだけの事 」










  僕はある年の秋の終わり、穏やかな日差しを浴びながら公園のベンチに座り、読書をしていた。

  それは僕が何かを失った年で、世間では「北朝鮮核爆発実験成功」だの「いじめ問題と教育改革」だの「松坂、メジャー行き決定?」だのと騒がれていた、そんな時代の事だ。
 
  僕がその時手にしていたのは、二十二年前に発売され十八年前に読み、そしていつの間にか何処かに失くしてしまった本で、たまたま近所の古本屋で発見し、定価の半額以下で購入したものだ。それを今また読み返していたのだが、話の内容はほとんど覚えていなかった。ただ読んだ事がある、という記憶だけがあった。僕もまた、十八年分の年を取っているのだ。
公園では、春にはその花びらが空一面をピンク色に染めた桜の木も、今ではすっかり、その葉を落とし、銀杏の木には少しずつ、黄味を帯びた葉が混じり始め、ベンチの脇では茶色く変色した落ち葉が、折れた小枝と重なり合い、カサカサと鳴いている、足元では秋を越せない昆虫の屍骸を、冬の備えにしようとたくさんの蟻達が何処かへ運んでゆく、そんな冬の始まりを予感させていた。
その公園の中では、僕と、それぞれ一人で来ている人々と、それとたくさんの子供とその母親たちが、午後の暖かい日差しを分け合っていた。


  それにしても、子供達が二、三十人はいただろうか?僕はこの公園には比較的よく来るのだが、こんなにたくさんの子供達をここで見るのは初めての事だった。都会の中心から電車でわずか五分のこの街に、割とたくさんの子供達がいるのだなと思った。
子供達は二歳から五歳、小学校に上がる前といったところだ。子供達は自由気ままに公園の中を走り回っている。多くの母親たちはレジャーシートを拡げ世間話に興じ、穏やかにそして時に笑い合っていた。

  今の時代、こんな都会の公園で小さな子供達を遊ばせて専業主婦でいられるのは、割に恵まれた家庭環境にいるのかもしれない。いわゆるセレブリティでは無いにしろ、中の上、もしくは上の下といったところだろう。男達がストレス社会でリストラや刻一刻と変動する株価と戦い、日々、その身をすり減らせてゆく、その同じ時間、男達の知らない世界がここに一つ、存在していた。
  子供達をよく見ると、彼らはそれぞれ幾つかのグループに分かれて遊んでいた。
  ジャングルジムで遊ぶグループ
  ブランコで遊ぶグループ
  鬼ごっこをするグループ
   サッカーをするグループ
  その一つ一つはそれぞれ独立して存在し、時として子供達の間で穏やかな交換が行われ、それでもその幾つかの遊びのグループは存続してゆく。

  しかし、この親子達は何処からやってきて、どうゆうつながりでここに集まったのだろう?幼稚園の帰りに自然に集まったのだろうか?それとも今日は幼稚園がお休みだったのだろうか?子供達のグループと母親たちのグループの間には何か関連性はあるのだろうか?それとも母親たちの人間関係が子供達の仲良しグループに与える影響はあるのだろうか?
どちらにしても、平日の昼間にこうして公園のベンチで暇そうに読書などしている、たぶん中年の僕は、小さな命を預かる母親たちからすると、もっとも有り難くない存在であろう。この危険に満ちた現代の、都会の小さな公園では僕のような存在は、あまりふさわしくないのだ。
そんな事を僕はぼんやりと考えながら、ふと、思い出したように読書をしたり、また子供達を眺めたりしていた。

  途中、一人の男の子が三十センチくらいの枝を拾って、それを振り回し始めた。そしてそれに呼応するかのように、もう一人の男の子も枝を手にした。それを見たどちらかの母親が立ち上がり、
  「こうちゃん、それは駄目!危ないから!枝を捨てなさい!」と大きな声で叫んだ。
公園の中にいた誰もが顔を上げた。平和な公園に一瞬の緊張が走った。というほどの事でもないが、母親の声が思った以上に大きくて、確かに、その場にそぐわなかった、というだけの事だ。男の子達は渋々とそれに従い、ジャングルジムの方へと駆けていった。
男の子達はこうしてその牙を抜かれ、母親たちに飼いならされてゆくのだろう。そしてそれを見て安心した母親たちはまた、何事も無かったかのようにおしゃべりを始めた。
  一見平和そうに見えるこの国は、それでもひとたび何かが起これば、一斉に銃器を手に取って、暴動でも起きそうな火薬の匂いが立ち込めている。皆、誰もがそんな事が起こらないように、そっと身をひそめ、穏やかな表情の下に狂気を隠して生きている。
誰もが皆、自分達の抱えている闇に恐怖しているのだ。それには母親の声が、少し大きかった、というだけの事なのだ。だけど僕はその一瞬の緊張に今の世界の縮図をこの公園で見たような気がしていた。ここもまた、社会の縮図の一つなのだと。

  誰も、誰もそのボタンに手を触れてはいけないのだ。
  小さな風が吹き、ベンチの脇の落ち葉がカサカサと鳴いた。その上を子供達が駆け抜けてガサッ、と落ち葉が大きく悲鳴を上げる。光が影を作り出し、子供達の動きが新しい影の形を作ってゆく。影は、交じり合い、重なり合い、時に離別して様々な模様を描きながら、太陽の光がある限りこの地上に存在してゆくのだろう。それは人と人との関係性の様に。それは生物が生物として存在してゆくように。ただ繰り返し、繰り返しその営みを続けてゆく輪廻する生命の活動なのだと思った。

  僕が読書に疲れ、ふと目を上げると、僕のすぐ目の前にあるすべり台の陰に、小さく身をかがめて身を隠している五歳くらいの女の子と目が合った。

  かくれんぼが始まったらしい。いつの間にか鬼ごっこのグループは消滅していた。どうやらかくれんぼは、五、六人の女の子達のグループで行われているようだ。僕が暫らく読書に集中している間に子供達の人数もずいぶんと減っているみたいだった。それに伴い自転車と母親の人数も減っている。足の悪そうな男と公園には不似合いなハイヒールを履いたOLの姿は既に無く、代わりに空いたベンチには土木作業を中断し、一息入れに来た作業服姿の男達がおいしそうに煙草をふかしていた。
彼らの吐き出す煙草の煙はゆっくりと宙をただよい、それから気持ち良さそうに秋の空に溶けていった。
メールを打つ女は、相変わらず一心不乱に虚空に向かってメールを打ち続けている。ジャングルジムの影がずいぶんと長い。風が少し冷たく感じられる。足元にいた秋を越せなかった昆虫の屍は、もう既に蟻達の冬の食料として何処かへ運び出された後だった。

  僕は一体どのくらいの時間、ここに座っていたのだろう、僕は既にいくつかの短編を読み終えていた。そこに描かれていたのは、やはりいくつかの喪失感だった。

  そして僕は、失われた何かについて考える。

  僕はこの二十年で、一体、何を手にして何を失ったというのだろう。そして僕は一体何処に辿り着いたというのだろう。何処かに辿り着いたようにも思えるし、何処にも行けていないようにも思う。結局のところ人は何処へも行けず、同じところをぐるぐると廻っているだけなのかもしれない。

  気が付くと、僕の頬に涙がつたっていた。 

  「そう、僕たちは何処へも行けはしないのだ」

  僕の中で確実に何かが失われた年、誰かが僕を今までとは違う何処かへ運び出そうとしていた。
新たに生まれたその闇に、少しずつ新しい何かを注ぎ足し、やがて自分の中に光の粒を満たしてゆく。その行き先を僕自身まだよく把握できなくて、暗闇の先に小さな灯りを探している。
そしてこれは、ただそういった年のある良く晴れた秋の日の午後、公園で読書をしていた、というだけの、ただ、それだけの事なのだ。