「 サムゲタン 」









  僕は今でも時々、サムゲタンの夢を見る。とても、とても気持ちの悪い夢だ。
  

  それは、ある冬の始まりかけた夜の出来事だ。
僕と彼女は、ふとした事で知り合うことになった。
僕がその日の朝、いつものように出勤する際通る、いつもの道の脇に最近出来たばかりの空き地で、投げ捨てられるように放り出された、汚れたハンドバッグを発見したところから、話は始まる。

  僕はいつものように急ぎ足で職場に向かう途中、その新しく出来た空き地の草むらの影に、女物の黒いハンドバッグを偶然に見つけてしまった。
僕は急いでいたのでそのまま通り過ぎようとも思ったが、何だか妙に気になってそのバッグを手に取ってみた。汚れているとはいえ、それなりにきちんとした、そこまで安くは無いだろうと思われる物で、まだ捨てるには勿体ない様な気がしたからだ。そして中を確認するとやはり、財布やカードケース、携帯電話などが入っていて、明らかにひったくりか置き引きによる犯行の後に捨てられた物のようだった。
当然、財布の中身は空である。しかし、それ以外の免許証やらクレジットカードやらキャッシュカード、会社の名刺、社員証などはそのままである。携帯電話は何故か、二台入っていた。ピンク色の物とシルバーの物、両方ともNTTドコモの物だ。裏蓋が取り外され、電源は切れていた。

  さて、どうしたものか。
その時の僕は、急いでいて警察に届けている時間は無かった。かといって、もう一度草むらに戻すというのも気が引ける。やはりここはバッグの持ち主も困っている事だろうし、とりあえず仕事先に持っていって警察には後から届けよう、と決めた。

  僕の仕事先は自宅から歩いて十五分くらいの所にあり、JR山手線の代々木駅の近くで自分が営む、小さな古本屋をやっていた。しかし小さいとはいえ、しっかりと固定客のついたこだわりのある古本屋で、僕は自分の仕事を愛していたし、自分の仕事にはいたって厳しい方で、遅刻は絶対に許されないし朝からやるべき仕事はいくらでもあるのだ。僕は出勤の途中、銀行に寄り、お店を開け、いつものように掃除をし、いつものように幾つかの雑事を済ませ、その合間にも何人かのお客さんの接客をこなした。そしてお昼前にやっと少し時間の空いたところで僕は、先程拾ったバッグの中身をもう一度確認してみた。

  財布の中にはやはり一円も入ってはいなかったが、財布に残された社員証と名刺、それに免許証から持ち主はどうやら品川にある、あまり聞いた事のない外資系製薬会社の研究開発部門に勤めている二十五歳の女性である事が分かった。

  僕は警察に届けるまではこのまま何もせずに放っておいた方が良いのか、それとも直接本人に電話をしてバッグを拾ったことを教えてあげた方が良いのか、少し考えてから、やはり電話だけでもかけて、現金は入っていなかったけれど、免許証やキャッシュカード、クレジットカードなどは無事であることを少しでも早く教えてあげた方が良いだろうと結論した。今の時代、現金はともかく免許証やクレジットカードの後始末の方が面倒だし、何かと心配だからだ。僕も以前財布をスられた事があるが、やっぱりその時も、現金はともかく免許証とカード類だけでもいいから返して欲しいと思った事がある。   だから僕は、彼女を少しでも早く安心させてあげたいと思ったのだ。

  ここで自分の名誉の為に断っておくが、僕はこの女性に対して一切、性的なものは覚えなかったし、親切心以外の何ものも無かったことを付け加えておく。

  しかし、やはり今にして思えば、それが間違いの始まりだったのだ。僕はお昼過ぎに、もしかしたら自分の事すら信用してもらえないのではないか、と少し不安に思いながらも、彼女の会社に電話をかけた。一度目の電話はちょうどお昼休みだったらしく、彼女は不在であった。しかし二度目の電話で彼女と直接話をすることが出来た。
  僕はまず、自分の身元を説明し、いつ、どこで、どういう状況でバッグを拾ったのかを説明した。それとバッグの中に入っていた物、財布の中には現金の類は入っていなかった事などを説明した。
  電話の向こうで僕の話を聞いていた彼女は、僕を疑うどころか、とても素直に喜んでくれた。バッグはやはり、この代々木駅の近くで一週間近く前にひったくられたのだ、それでその後、とても困っていたので、連絡をくれて本当に感謝している、と彼女は言った。それから彼女は、もし迷惑でなければ、今日の夜にそちらの方にバッグを取りに伺っても良いでしょうか?と僕に尋ねた。
代々木駅は彼女の通勤経路の途中にあるということだった。僕の方は一向に構わない、警察に行くのも面倒だったのであなたさえ良ければ僕はその方が助かる、と彼女に告げた。



  その晩、彼女は早々に仕事を切り上げ、僕のお店にケーキを持って現れた。駅前にあるケーキ屋の物だ。中には僕の好きなショートケーキが三つとカスタードプリンが二つ入っていた。
彼女はキャラメルブラウンのヒールの低いバックスキンで出来たパンプスにベージュ色の薄手のロングコートを着ていた。顔立ちはいたって平凡で、口元に小さなほくろが有るくらいで、特にこれといった特徴は見当たらない。しかし今時の二十五歳の女性らしくきちんとメイクをして、セミロングの髪の毛先はコテで巻かれ、両手の指の爪先は綺麗に磨かれピンクベージュのマニキュアが施されていた。彼女は会話をする時には相手の目を見て話をしたし、唇の両端には常に微笑みを浮かべ、決して他人に不快な印象を与えるようなことは無かった。
  コートを着ていたのではっきりとは分からないが、まあ、中肉中背、たぶん百六十センチ前後といったところだろうか。どちらにしても、僕の方がはるかに人相はよろしくないだろう。

  僕たちは軽く挨拶を交わし、それから「大変でしたね、困ったでしょう?」「ええ、でも本当に助かりました。わざわざありがとございました」等といったごくありふれた会話をした後、僕の方から「じゃあ、これで」と話を切り上げようとした。僕の方としては、バッグが少しでも早く彼女の手元に戻ればそれで良かったのだし、それにこれ以上この事に深く関わるつもりも無かった。僕はただ自分自身の為に少しでも他人の役に立てればそれで良かったのだ。

  しかし、彼女が何かお礼をしたいと言った。僕は本当に何もして欲しいとは思わなかったので、その申し出をていねいに断ったのだが、彼女の方もなかなか引き下がらずに、それでは自分の方が気になってしまう、と言う。
  僕は「本当に大丈夫ですよ、気にしないで下さい。僕はその方が助かります」と言ったのだが、彼女は「分かりました。では一度だけでも食事をごちそうさせて下さい」と言ってきた。
  僕はこの時、このやりとりが少し面倒になってきて、「分かりました。じゃあ、一度だけメシをごちそうになりますよ」と言ってしまった。すると彼女が、
  「本当ですか、では、何か食べたいものとかありますか?」と聞いてきたので、僕はちょうどひと月前に友人との旅行で訪れた、韓国で食べたサムゲタンの事を思い出し、それがあまりにもおいしかったのでほとんど条件反射のように、
  「サムゲタン、サムゲタンが食べたいな」と答えていた。

  さんざんお礼を断っておいて、我ながらずうずうしいなあ、とも思ったが、まあ、どうせごちそうしてもらうんなら食べたいものを食べた方がいいよね、とも思った。
僕が先月の終わりにソウルのトソッチョン(土俗村)という、キョンボックン(景福宮)にあるサムゲタン専門店で食べたサムゲタンが本当に、本当においしかったのだ。ソウルは日本の新潟市と同じ位の緯度に位置していて、東京よりも一足早く;冬が訪れていたから、その肌寒い日の熱々のサムゲタンがまたとても良かったのだ。
  サムゲタンとは韓国の郷土料理で、お腹の中に御飯を詰め込んだ鶏を丸ごと一匹、高麗人参やナツメ、ギンナン、栗などと一緒にコクのある白いスープでコトコトとじっくり煮込んだ、日本の雑炊のような食べ物だ。薄い塩味で見た目よりさっぱりしているから食べやすくて、寒い日には身体がポカポカしてきて、食べただけで健康に良さそうな気がしてくる。しかもこのトソッチョンというお店は地元の人もみんな食べに来ていて行列が出来ていた。まあ、とにかくおいしかったのだ。
  すると彼女は、
  「ああ、サムゲタンいいですね。私もサムゲタンは大好きです。じゃあ、何処か美味しいお店を探しておきますね」と言って、翌週の日曜日の夜に会う事を約束してその日はそれで別れた。
僕はその後、やっぱり初めから警察に届けて終わりにしておけば良かった。後々面倒な事にならなければいいけれど、と少しだけ後悔した。
そうして僕は問題の夜を迎えることになったのだ。

  約束の日の夜は、とても冷たい風が吹いていて、いよいよ冬の到来を感じさせるような夜だった。僕たちはJR山手線の大久保の駅で待ち合わせをしていた。大久保の駅周辺には韓国料理屋が幾つもあるという事を以前誰かに聞いた事があったので、今日の待ち合わせが大久保になったという事を聞いた時、僕は特に疑問を待たなかった。きっと美味しいお店を探してくれたのだろう、と勝手に考えていた。でもそれは、やはり僕の勝手な思い違いであった。

  約束の時間になると、首にピンク色のマフラーを巻き、白いウールのコートを来た彼女が通りの向こうから現れた。今日の彼女はヒールが十センチはありそうな、黒い艶のある革製のハイヒールを履いていた。
彼女は僕の所に来ると、「こんばんは、もしかして待ちました?」と言った。僕は
  「いいえ、少し前に着いたけど今、約束の時間なので大丈夫ですよ」と答えた。すると彼女は「良かった。じゃあ、今から案内しますね、五、六分で着きますから」と言って、カツッカツッとそのヒールの靴音を夜道に小気味良く響かせながら、僕の先を立って歩いていた彼女の案内してくれた先は、どうやら彼女の自宅のマンションだった。
しまった、うかつだった。そうだ、そういえば免許証に書かれていた彼女の住所は確か新宿区だったような気がする。しかしもう今となっては遅すぎる。気付くのが遅いのだ、いつも僕は。

  僕たちは六階までエレベーターを使って上がり、彼女は彼女の部屋の玄関の前まで来ると、「狭い部屋だけど、どうぞ入って」と言って、玄関の扉を開けた。僕は、まあいいか、とりあえずメシだけ食べてさっさと帰ろう、と考えつつ彼女の脱いだ黒いハイヒールの隣に自分の履いていたスニーカーを脱いで、部屋に上がった。
僕はいつもこうなのだ。なんだかんだ言っても断れない性格で、いつも最後はまあいいか、になってしまう。しかし自分ではこのような自分の性格を、器が大きい、という事にして良い部分として認めることにしている。一応。

  彼女は先に部屋に入ると、先ずコートを脱いでそれをハンガーに掛け、それから僕の上着を預かるとそれもハンガーに掛けてくれた。彼女はコートの下にはふわふわとした白い柔らかそうな半袖のニットと素足にひざ上二十センチはありそうな、短めの赤い巻きスカートを身に着けていて、そのスカートの裾からはとてもきれいな形をした脚が、すっと伸びていた。全体的には細めだが適度に肉が付いていて、白くて柔らかそうな太ももと足首につながる膝から下の脛のライン、そしてきちんと引き締まった足首を持つ彼女の脚は、まさしく僕の理想とする完璧な脚だった。
僕はそれを見ながら、困ったものだ、と彼女にばれないように小さく頭を横に振った。

  彼女の部屋は、大久保の駅から歩いて五、六分の白い鉄筋コンクリートのマンションの一室で、1LDKタイプ、家賃はまあ、十万から十二万といったところか、女性が一人で暮らすには充分な広さである。あれ?一人だよね、多分。後から体のでかいプロレスラーみたいのが入って来ないよなあ、まさか。しかし、とりあえず部屋の中は女性の一人暮らし風ではあった。とりあえず。
部屋はきれいに掃除され、部屋の中央にガラス製のローテーブル、その手前には二人掛けのソファ、そしてテーブルをはさんで向こう側に二十四インチ型のテレビがいてあった。
  僕はその二人掛けのソファに座るように促され、それに従った。彼女はキッチンから一つ、小さなグラスを持ってきて僕にそれを手渡すと、「少し待っててね。」と言って、食前酒として深い色合いのルビー色をした果実酒をそのグラスに注ぎ、自分はキッチンの方に戻っていった。何のお酒だろう、初めて飲むお酒の味だった。
韓国のお酒だろうか。甘い、甘い香りがする。でもすっきりとしていて、後からビターのような苦味が口の中に残る。僕はその不思議な味をしたお酒をちびちびと飲みながら、食事の出来るまでの間、部屋の中を観察した。

  BGМには小さな音でビートルズの懐かしい曲がかかっていた。ソファはくすんだサーモンピンクのファブリック地の女性らしいソファだ。座り心地はまあ、悪くない。それにソファの奥には白いクッションが二つ置いてある。目の前のガラス製のローテーブルの上にはシルバー製の小さな一輪差しに名前の分からない小さな白い花、それに金属製の箸とスプーンと小さな陶器の取り皿がそれぞれ一組ずつ置かれていた。テーブルの向こう側にはテレビが置いてあり、たぶん彼女はいつもここに座ってテレビやビデオを見ながら、ごはんを食べたりお酒を飲んだりしてくつろいでいるのだろう。テレビの左側にはコンパクトなステレオセットがあり、その隣には読みかけの雑誌や古いビデオテープ、DVDソフトにCDなどが雑然と、しかし適度に整理されて積まれている。テレビの右側はベランダだろうか、うすいクリーム色のカーテンが掛かっていて外界の光からは閉ざされていた。壁には一枚のヌーベルバーグの頃のよくあるポスターが貼ってある。
ありふれた、あまりにもありふれたこの部屋は、まるで急いで二十五歳の女性の部屋のセットを作りました、というようなかえってどこか不自然な印象を僕に与えていた。

  それから僕は視線を左の方に移すと、そこにはキッチンがあり、そこでは彼女が僕に背中を向けて何やら料理の支度をしていた。彼女はいつの間にかクリーム色のエプロンを着けていた。赤いミニスカートからのぞく彼女の脚はやっぱりきれいな形をしていて、僕はもう一度、やれやれ、困ったものだ、と小さく呟き、頭を左右に振った。僕は女性のひざに裏のくぼみにとても弱いのだ。

  彼女の向こうで土鍋がグツグツと音をたて、おいしそうな湯気を上げていた。彼女は時々味見をしながら頭をひねったりしていた。それから彼女は僕の方にやって来て、キムチとカクテキの乗ったお皿をテーブルに乗せながら、「どうぞ」と言った。そして、
  「私、実は昔、韓国の人と付き合ってた事があるの。彼は留学生だったんだけどね。その時に彼からキムチとかサムゲタンの作り方を教わったのよ。だから、私が作るサムゲタンは結構本格的で、本当においしいのよ。その辺の韓国料理屋さんのよりは絶対においしいんだから。でもサムゲタンはもうちょっとまっててね」と言った。

  そして僕の空いたグラスにお酒を注いだ。僕はそのキムチを一つ食べてみた。これが本当においしかった。ただ辛いだけではなく、まろやかな辛さで少し酸味があり、そしてほのかに甘かった。確かに美味い。韓国で食べたキムチも美味かったがこのキムチも相当美味い。僕は彼女に、
  「このキムチおいしいね、本当においしいよ」と言うと、彼女は、
  「でしょう、だから言ったでしょ。サムゲタンはもっとおいしいんだから」と言って、キッチンの方に戻っていった。僕はサムゲタンの出来るのを待ちながら、キムチとカクテキを交互につまみ、時々お酒を飲み、そしてキッチンに立つ彼女の脚を見ていた。すると突然その脚がこちらに振り返り、僕の方に向かって歩いてきた。僕が見上げると、とても熱そうな土鍋を持った彼女が、
  「はい、お待たせしました。サムゲタンですよ」と言って、その土鍋をテーブルの上に乗せた。

  彼女の置いた土鍋を覗き込むと、そこには熱々の湯気を立てた、鶏が丸ごと一匹入ったまさに韓国で食べたサムゲタンそのものだった。それは見た目だけではなく香りも本場韓国で食べたサムゲタンとまるで一緒で、僕は、
  「すごいねえ、よくこんなの作れるね」と言うと、彼女は、
  「いいから早く食べてみて」と僕に言った。
僕はまずその鶏の身を箸で裂いてみた。すると中からご飯の粒々がとろっと出てきて、僕の食欲をそそる香りを立ち上げた。僕はまず、スープを一口飲んだ。うん、美味い。ほんのり薄い塩味で鶏のダシが出ていて生姜の香りも効いている。僕は別にサムゲタンについてうるさいわけではないが、本当においしかったので、
  「うん、おいしい。本場の味がする」と言って彼女を称えた。
それから僕は、鶏の身をほぐして、口に運んだ。その身はとてもやわらかで口の中でとろりととけて、くずれてゆく。そして今度はご飯と一緒に食べてみる。それはとても熱くて、一瞬口の中を火傷しそうになったが、なんとか口の中で冷ましてから飲み込んだ。そのサムゲタンは中にちゃんと高麗人参やナツメ、ギンナン、栗なども入っていて韓国で食べたそれに勝るとも劣らなかった。僕は時々キムチやカクテキにも手を伸ばしながら、夢中でサムゲタンを食べていた。僕はふと、
  「あれ、君は食べないの?」と尋ねると、彼女は、
  「うん、私は大丈夫。作ってるとき味見しながらちょこちょこ食べてたし、それにあとからちゃんと食べるから私のことは気にしないで」と言った。そして彼女は僕のとなりに腰掛けて、僕の顔を覗き込みながら何度も「おいしい?」と僕に聞いた。
僕はその度に「うん、おいしいよ」と答えなければならなかったけれど、本当においしかった。

  しかし僕が夢中でサムゲタンを食べているときに、あれ、なんだろう?湯気の中のサムゲタンが一瞬揺らいで見えた。気のせいかな、と思いかまわず続けて食べているとやっぱり何だかサムゲタンの様子がおかしい。僕は手を止めてよくよくその中を観察してみると、お米が動いているように見えた。「えっ、」と思わず口に出し、お米をスプーンですくってもう一度良く見てみると、やっぱりお米の粒がムズムズと動いていた。
  「げー?」 僕は口の中に入っていたものを全て吐き出して、
  「何だよ、これ。これ蛆虫じゃん?」と大声で叫んだ。僕がお米だと思って食べていたのは、ぶよぶよとした大量の白い蛆虫だったのだ。
それは体長が五、六ミリ程で、よく栗の中に入っていたりする栗虫のようなその蛆虫は、ムズムズと器の中を這いずり回るように蠢いていて、今にも器の外に這い出してきそうだった。
しかし彼女は何事も無いかのように、
  「おいしい?」と僕に聞いて、僕の目を見ながらにやっと微笑んだ。僕は興奮して、
  「何言ってんだよ!これ蛆虫じゃんか?」と大声を出して言うと、彼女は、あなたこそ何を言ってるの?よく見てよ、ただの御飯粒じゃない。と言った。僕は、「えっ、」と言って、もう一度器の中を覗きこんだ。すると、さっきまで這いずり回っていたように見えた、ぶよぶよの白い蛆虫の姿は何処かに消えて、ただの御飯粒に戻っていた。えっ、おかしい、絶対におかしい。今、絶対に動いていたはずだ。スプーンですくってもう一度見てみてもやっぱり、それはただの御飯粒だった。
  「あれえ、おかしいな。今動いているように見えたんだけどなあ」と僕が言うと、彼女は、
  「ほらね、ひどいなあー、蛆虫だなんて言って、もう、酔っ払ってんじゃないの?」と言って、少しふくれて見せた。僕は、
  「ごめん、ごめん、確かにちょっと酔ってるのかもしれない。本当にごめんね、悪気は無かったんだ」と言って僕は素直に謝った。
  「罰としてちゃんと全部食べてね」と彼女は言った。
  「うん、分かった。本当にごめん。ちゃんと全部食べるから許して」と言って、僕は残りのサムゲタンと、キムチからカクテキまで全て平らげた。
  「あー、超食った。まじで腹いっぱいだよ。でも本当においしかった。ごちそう様。ねっ、これでさっきの事許してくれる?」と僕が聞くと、
  「だーめ、まだ許さない、今日これ作るために何日も前から準備して、すっごい楽しみにしてたのに、まさかあんな事言われるなんて思ってもみなかった」と言って彼女はまだ少し怒っているみたいだった。
  「だからごめんて、本当に悪かったから。でも、ほら、ちゃんと全部食べたでしょ」僕がそう言うと、彼女は「だめ、まだ許してあげない」と言いながら僕のひざの上にまたがってきて、僕の耳元で、
  「キスしてくれたら許してあげる」と言った。

  彼女の生暖かくて柔らかな太ももの内側が、ジーンズ越しに僕の股間を刺激していた。そして彼女は唇を僕の顔に近づけてくると、それを僕が避ける間も無くそのまま僕の唇に彼女のそれを押し付けた。そして彼女の唇が僕の唇に触れると同時に、彼女は僕の唇をこじ開け、舌を侵入させた。
僕は、「ちょっと待って」と言おうとしたが、うまくろれつが廻らなくて、自分でも何を言っているのか分からなかった。その時僕の意識は何故か突然、もうろうとしてきて、まるでドラッグでもやっているかのように、それを抵抗する気力を失っていた。頭がぼーとして、口の中がぴりぴりと痺れていた。さっきのお酒に何か入っていたのだろうか、とにかくよく分からないが、全身に力が入らなくなっていた。彼女の舌は僕の中をあやしく這いずりまわり、僕から更に抵抗する気力を奪っていった。

  僕は頭の中で、だから言っただろう、女の一人暮らしの部屋にのこのことやって来てはだめだって、どうせこんな事になってしまうんだから、もういい年なんだから、こんな不毛な肉体関係は後々、虚しくなるだけなんだから、十代やそこらのガキじゃないんだからさあ、と自問自答していた。

  しかし僕の気持ちとは裏腹に彼女は彼女の右手を僕の股間にするすると伸ばして来て、僕のペニスをジーンズの上から刺激してきた。僕の全身の血流が一気に僕のペニスに流れてゆくのが分かった。
  僕は、ああ、もうどうでもいいや、別に決まった恋人がいる訳ではないし、彼女がそれを望むのならそれはそれでいいか。今夜限りの事として、もう二度と会わなければいいんだし、それより身体が全然いう事をきかないよ。なんでだろう、僕がそんな事を考えていると、彼女は僕のジーンズのベルトをゆるめ、フロントボタンをはずし、ジッパーを下げた。その間も彼女の唇は僕の耳たぶをやわらかく噛み、息を吹きかけ、舌を挿入し、耳を口にふくみ、ぴちゃぴちゃといやらしい音を立て、首筋に舌を這わせ、あたたかい息を吹きかける。そしてパンツの中から僕のペニスをそっと取り出すと、きれいに形の整えられたワインレッドの爪先を持つ、しっとりとして冷たい彼女の両手を使いその硬くなっているものをやさしく愛撫した。

  この時の僕はもう、まるで死を待つ死刑囚のように無抵抗で彼女に主導権の全てを譲り渡し、どうでも良くなっていた。僕のその様子を見て取った彼女は、今度はゆっくりと自分の着ていたニットを脱ぎ、赤い巻きスカートのホックを外し、サイドのジッパーを下げるとスカートを床の上に脱ぎ捨てた。

  彼女のその白いニットの下には、高級そうな細かいレースの模様と中央に紺色の小さなリボンの付いた、くすんだ淡いブルーグレーの下着の上下を身に着けていた。その下着はそれぞれに透けている素材で、乳首の輪郭も黒々と繁った陰毛も透けて見え、僕は何故女性たちはわざわざこんなに透ける下着を買うのだろうと、思いながら彼女の下着を見ていた。彼女が自分の背中に手を回しブラジャーを外すと、その下からは真っ白でとてもきれいな形を持った柔らかそうな乳房が現れて、やさしいピンク色をした両方の乳首は、硬く上を向いていた。
  まったく、と思った。顔は全然好みではないのに、何故この女は僕の好みをまるで初めから知っていたかのように、きれいな形の脚と美しい乳房を持っているのだろう、そして何故、こんなにも男の体の気持ちの良い部分を知り尽くしているのだろう、と。

  それから彼女は、僕の着ているシャツのボタンをやはりゆっくりと、一つ一つ丁寧に外してゆき、僕の着ていたシャツとタンクトップを脱がせると、僕をソファに押し倒した。
  そして彼女は徐々にその濡れた唇を僕の下半身に移動させ、セミロングの巻き髪を左手でかき上げながら、僕のペニスをやさしく口の中に含んだ。彼女の口の中は熱い唾液に溢れ、波打ち、そしてその唇をゆるやかに上下に運動させた。彼女の上下する口元の小さなほくろが妙にいやらしく感じられた。彼女は唇と舌を上手に使い、僕のペニスをその根元から先端までたっぷりと時間をかけてとてもやさしく、時には激しく愛撫しながら、左手では僕の睾丸を握りしめ、右手では僕の肛門を刺激していた。
それから彼女は自分の股間を僕の太ももに押し付け、彼女もまたその下半身の濡れている事を僕に教えた。彼女は着けていた自分の下着を脱ぎ捨てると、僕の右手を取り自分のヴァギナに誘導し、僕に彼女の存在の感触を確かめさせた。僕は彼女の黒い繁みの奥のヴァギナの湿りを感じながら、中指と薬指を彼女の中に侵入させた。彼女は一瞬ピクッと腰を浮かせると、それからさらにヴァギナを彼女の体液で湿らせて、それは溢れた。

  それにしても彼女は舌の使い方がなんて上手なのだろう、僕は何度も何度もイキそうになりながらそれを抑えるのに必死になっていた。それから彼女はおもむろに僕のペニスから唇を離し、僕のペニスに左手を添えて、自らのヴァギナへと誘導した。彼女の漆黒の繁みをかき分けていくとぬるりとした感触があり、その次に僕のペニスは彼女のヴァギナに吸い込まれるように、収まった。彼女の中はとてもあたたかくて、そしてその壁面はつぶつぶとした凹凸があり、僕のペニスを飲み込むとそれに合わせて彼女のヴァギナは収斂して僕のそれをギュッと締め付けた。こんなに気持ちの良いヴァギナは初めてだと思った。それから彼女は彼女の腰を使ってゆっくりと僕を頂点に導いてゆく。僕は目を閉じてその暗闇の中で彼女のヴァギナの温もりと彼女のあたたかな息使いと、彼女の鼓動とを感じながら深い快楽の海を漂っていた。

  そして僕がその頂点に達しようとした瞬間、僕のペニスがある異変を感じた。彼女の膣の中のつぶつぶとした凹凸がそれぞれに独立した動きを取り始めたように感じたのだ。その動きは初め、漠然とした不確かなものであったが、徐々により確かな蠢きへと変わってゆき、ザワザワと僕のペニスを包み込むようにして侵食し始めた。
  僕は一瞬にして正気を取り戻し、次の瞬間それは恐怖に変わった。僕の頭に、さっきのサムゲタンの中にいた白い蛆虫の姿が浮かんだ。そしてその蛆虫達が次第に僕のペニスを取り囲み、僕の中から何かを吸い取ってゆくような感覚があった。僕は、慌てて僕と彼女との結合部分に目をやると、本当に彼女のヴァギナからぶよぶよとした白い蛆虫が、もぞもぞと這い出してきて少しずつその数を増やしていった。蛆虫達は更に増殖しその活動範囲を拡げていく。そして僕から何かを吸い取ってゆく。しかし蛆虫達のその行動は、僕に痛みや不快さを与えるのではなく、恐怖と共に今までに味わった事も無いような快感を同時に与えてゆく。僕の意識は恐怖と快感との狭間の中で、更なる快楽の極致へと堕ちていった。

  気が狂いそうなほどに恐怖していた。それと同時に気が狂いそうなほどの快感だった。しかし、もう僕にはどうする事も出来ない。もう、僕には抵抗する気力もその術も与えられてはいなかった。僕は既に身体の大部分を蛆虫達に侵食され犯され、そして失っていた。
彼女が僕を見て笑っているような気がした。
僕は消えかかる意識の中で、今ここで起きている事は事実なのか、それともやはりまたしても、僕のただの幻覚なのか考えようとしてみたけれど、僕の思考能力は限りなくゼロに達しつつあり、何を思考する事も出来なくなっていた。僕は自分のペニスの感覚も手足の感覚も既に失っていた。そしてそのまま僕は、気を失った。


  次に僕が意識を取り戻したのは、カーテン越しにこぼれる朝の光の中だった。僕は自分の居場所が何処なのか、初めよく分からなくなり、ふと周りを見回した。僕は見た事の無い部屋の見た事のないベッドに裸で横たわっていた。そしてまくらの横にあった一枚のメモ書きを発見した。それには、
  「 とてもよく眠っていたので起こさず、先に出ます。
    鍵はテーブルの上に置いてあるので、家を出る時には、
    玄関に鍵をかけてポストに入れていって下さい。    由美子 」

  と、あった。
僕はひどい頭痛と、もうろうとする意識の中で昨日の記憶を探っていた。徐々に記憶が蘇ってくると、一瞬背筋に寒気が走った。
昨日の出来事はなんだったのだろう、あの蛆虫達は一体何処に行ったのだろう、僕がただ酔っていただけなのだろうか、色んなことがあやふやで、夢だったのか現実だったのか、それとも幻覚を見ていたのか全ては謎のままだった。
  ただ、はっきりしている事は今、こうして知らない部屋の知らないベッドで僕が裸で居る、という事だ。そしてそれは紛れもない事実だった。
  僕は自分の腕時計で、今が二〇〇六年十一月二十七日の月曜日の十時十一分である事を確認すると、とりあえずベッドを出て、ベッドの脇の椅子に掛けてある自分の服を着ると、そのままその部屋を後にした。

  それがその夜に起こった事の全てであり、未だに僕の身に何が起こり、そして何が事実で何が幻だったのか分からないまま、現在に至っている。それ以来、僕は二度と彼女に連絡をする事も無ければ、彼女から連絡が来る事も無かった。   ただ、僕は今でもたまに、蛆虫の湧いたサムゲタンの夢を見る。僕は見た事のない何処かの部屋の中でひとり、その蛆虫の湧いたサムゲタンを、とてもおいしそうに、黙々と食べ続けているのだ。