美容師の、本当の力。


  美容師になろう。
そう決めたのは高校のときだろうか。
それから何年、あなたは美容師の道を歩み続けてきただろうか。
時間や経済的理由に追いかけられながら、一筋に疾走してきた道。
ここらで一度、立ち止まってみてはどうだろう。
自分はいま、幸せだろうかと自問してみる時間。
「美容師はすばらしい職業です」
もちろん自信をもってそう言える人はそのまま歩みつづけるだろう。
だけど少しでも疑問や迷いがあれば、立ち止まって考えてみよう。
そうしてもう一度、やっぱり美容師はすばらしい、
そう思えたならば、堂々と子どもたちに伝えてあげよう。
お店にやってくる中学生・高校生に語ってあげよう。
あなたの颯爽とした、きらきらと輝く姿を見せてあげよう。
全国の美容師が輝いていれば、
美容師になりたいと思う子どもたちは増えていく。
だから倉品幸司だけでなくあなたも……。
   
  倉品 幸司

 illust : でき やよい
text : 岡 高志

 
 
 
 
 

  スペインの南端からフェリーに乗った。
ジブラルタル海峡を渡ってアフリカへ。モロッコへ。

一九九九年八月。日本では美容ブームが頂点を迎えていた。
その喧噪から逃れるかのように、倉品幸司は旅に出ていた。

  到着したのはタンジェ。モロッコの港町。
計画ではそこから鉄道で内陸のフェズへ向かう。


目的地は砂漠だった。


                *


タンジェで列車を待つ間、倉品は歩いて街へ向かった。
その途中の事だった。
 
 二人の子供と知り合った。おそらく兄弟。二人は笑顔をふりまきながら、なついてきた。 倉品はふたりの写真を撮り、一緒になって遊んだ。
そのうちに兄のほうが写真を撮ってあげると言い出した。いや言葉はわからない。
だけど身振りでわかる。あーそうか、撮ってくれるのか。カメラを渡した。
すると今度は弟のほうが時計を見せてほしいという。いいよ。倉品は弟に時計を渡した。
弟はうれしそうにその時計を胸の前に掲げた。その弟と並んで笑う倉品。兄がシャッターを押す。
その瞬間だった。
兄弟は突然、別々の方向へ向かって駆けだした。
  何が起こったのかわからなかった。重いバックパックを背負ったまま、その場にしばらく立っていた。
あっ。気づいたときは遅かった。二人ははるか彼方を駆けていく。しかも二方向。どっちを追えばいいのだ。
倉品は呆然と立ちつくすしかなかった。 耳には駆けながら笑っていたふたりの声だけが残った。


                  *
 

 旅に出ようと思った。
ペンとノートとカメラを持って、世界中を歩いてみたい。
そう思った。
十年間、美容師として働いてきた。
青山の有名店に就職し、一度も辞める事なく
働いてきた。
ただ、悩んでいた。悩みつづけていた。
オレはこのままでいいのか。
  美容師を辞めようと思った。美容室はもちろん、美容師も。
だからお客さまは全員、後輩に引き継いだ。
中途半端なことはしたくなかった。
もう復帰することはない。
だからお客さまの連絡先を聞いておく必要もない。
とにかく一回、フラットにする。
リセットする。
美容師も、人生も。
もう一度、自分を見つめ直して考える。
そんな時間がほしかった。


              *

 
 
 美容師になろう。
そう思ったのは中学生の頃である。
とにかく自立したい。 早く自立したい。その一心だった。

  実家は青果店。いわゆる八百屋さん。父は丁稚奉公から初めてお店を持った。
父の父、つまり祖父は太平洋戦争で亡くなった。そのため父は十五歳の時から奉公に出て、母と弟二人の家計を支えた。
その経験が倉品家の背骨を貫く。
いわく「働かざるもの喰うべからず」。
 
 小学校のころから倉品幸司は店の手伝いをした。遊びたいなら働いてから行け。それが父の方針である。
まず、学校から帰ると配達をする。野菜の配達。それが終わらないと遊びに行けないのだ。
文句を言おうものなら言葉より先に手が飛んでくる。幸司は泣きながらよく押入れに逃げ込んだ。
戸を少しだけ開けて、押入れの中で漫画を読んだ。
いまに母親が探しに来てくれる。戸を開けて慰めてくれる。そんな期待をしながら幸司は待った。
しかし母は来なかった。お店が忙しいのだ。そのうちに母も父も幸司の事を忘れてしまう。
幸司もまた、漫画に熱中してなぜ押入れにいるのかを忘れてしまう。そんな日々がつづいた。
 
  でもやっぱり手伝いはイヤだった。まず、遊びに遅れる。
配達を終えて広場に行くと、もう野球は始まっているのだった。幸司はいつも途中から入れてもらう。
さらに女子。配達先は近所である。当然、小学校の同級生の家もたくさんある。
苦手だったのは女子の家。配達に行くと、その家のお母さんは「偉いわねぇ」と褒めてくれる。
だけどその後ろに、同じクラスの女子が隠れていたりするのだ。それがイヤだった。本当に恥ずかしかった。
  働くことは普通のことだった。
だけど、幸司は一日も早く、家を出て自立したいと願っていた。
 
                      *   

  中学に入ると、手伝いの機会は減った。部活を始めたからだ。ハンドボール部。
中学には野球部もサッカー部もなかった。
狭い校庭で最もハードな練習をしていたのがハンドボール部。
しかも全国大会に出場するほどの実力があるのだという。
キツそうだな。そう思った。だから入部した。厳しい環境。苦しい毎日。
だからこそ本気になれる。夢中になれる。生きている実感がする。
言葉にはならなかったが、幸司はなんとなくそう考えていた。
  事実、厳しかった。監督は父親と同様、言葉より先に手が出る人だった。
だけど楽しかった。苦しい。だから楽しいのだ。
  ハンドボールは球技である。が、格闘技でもあった。
相手とのコンタクトプレーでは身体ごと突き飛ばす。
それでもルール違反にはならない。そこが快感でもあった。
 二年半。幸司はハンドボール漬けの毎日を過ごした。
休みは元旦のみ。チームは着実に強くなっていった。
  三年の夏。東京都大会。決勝。
最強のライバルとの対戦に幸司たちは敗れた。
そのライバルは全国大会に進み、優勝した。幸司の夏は、終わった。
 
                                      *

  次に考えること。それはやはり自立だった。とにかく手に職をつけること。そのために中学を出たら就職するつもりだった。
思い浮かんだ職業は、美容師。調理師。大工さん。なかでも美容師が、第一の候補だった。
  三年の夏に部活を終えると、幸司はようやく髪を伸ばした。
それまでは五厘刈り。髪を伸ばした幸司は急にオシャレに目覚めた。
  それまではジャージのカッコよさを追求していた。アディダス、プーマ、アシックス。
だけど目覚めた。トップスだ、ボトムだ。ビギ。ニコル。コムサ。パーソンズ。時代はまさにDCブランドブーム。
幸司の真ん中にある芯が、激変した。ハンドボール時代の「勝ちたい」から、「モテたい」へと。
  早く働いて、自立して、好きな服を着てオシャレをする。それが目標だった。
しかし母親が諭した。あなたの気持ちはよくわかった。だけどね、職業をそんなに急いで決めなくってもいいじゃない。
高校に行きなさい。そこでもう一度、しっかり考えなさい。
  幸司は渋々、高校に進学した。

                                       *
 
 高校に行くと、オシャレに拍車がかかった。私服。共学。校則はゆるい。
パーマやカラーは当たり前。女子は平気で化粧をしていた。
  幸司も毎月、美容室に通った。幸司は当時、髪にコンプレックスを抱いていた。
小学校のころはサラサラだった。だけど中学時代の五厘刈りを境に、髪質は変わっていた。クセ毛なのだ。
だから美容室に行く。家ではくるくるドライヤーで伸ばす。ブローでどうにもならないときは、コテも使った。
一生懸命に髪を伸ばして、流して、ジャニーズヘアにする。それが日課だった。
  ある日、幸司は行きつけの美容室で聞いてみた。美容師って楽しいですか。
美容師は答えた。そうだねぇ、楽しいけど、たいへんだからやめたほうがいいよ。
  その一言だった。その一言が、幸司の美容師への道を決定づけた。
  たいへんだからやめたほうがいい。そう言われると燃えるのだ。
もしそのときに美容師が「楽しいよ」「おもしろいよ」とだけ言っていたら、もしかしたら美容師を選ばなかったかもしれない。
つらいことが好きだった。苦しくなければ仕事じゃないと思っていた。
二年や三年で修得できる仕事についてもつまらない。何十年も修業しつづけるような仕事。
たいへんな仕事にぼくは就きたいんだ。
 
   さて、ならばどうしたら美容師になれるのか、である。
美容学校だった。当時は一年制。
幸司は母親に言った。 あと一年、学校に行かせてほしい。そしたら稼げるから。
  父親は猛反対した。
美容師ぃ?そんな女がやる商売なんかやめとけ。
  これも幸司にとっては順風だった。
父親が反対してくれたのだ。その反対を押し切ってまでもオレはやる。だから絶対一人前になってやる。
父親が認めてくれるまで頑張ろう。
それが苦しい時の支えになる。そう思った。
  同級生はみな大学進学を希望していた。
かといって何か目的があったわけではない。
むしろだれもが何も考えていなかった。ただなんとなく周りの空気の流れに乗って進学する。そのあとのことはわからない。
  高校では、いろんな専門学校の説明会が行われた。
その中に美容学校のブースがあった。しかし訪れたのは幸司と、その他わずか数人であった。
 
 東京綜合理容美容専門学校(現・東京総合美容専門学校)。
それが幸司の選択だった。理由は(当時)入学試験がないこと。
 
週休二日であること。海外研修があること。この三つの条件を満たす学校は一校しかなかった。
 
学校には興味がなかった。とにかく早く働きたい。
自立したい。幸司にとって美容学校は美容師になるための通過点に過ぎなかった。しかもみんなと一緒になにかをやることがイヤだった。
学校にいる自分もイヤだった。親に学費を出してもらって、のうのうと教室にいる自分がイヤだった。
毎日、聴いていたのは尾崎豊。頭の中には表参道の美容室で颯爽と働いている自分。
だから目の前の授業やワインディングの練習にはまったく心が動かない。とにかく一年間。
ここを出れば働ける。あの美容室で、働ける。

 あの美容室とは、技術と規律で全国的に有名な美容室のことだった。美容学校の入学案内に、卒業生が紹介されていた。
その人がカッコよかった。憧れた。表参道に面したビルの一角にある、ガラス張りの美容室。イメージは明確にできていた。
自分はあの美容室に入って、いつかあの窓面でカットする。
  夏休みが終わると、幸司は学校の先生に相談した。行きたい美容室があるので、そろそろ就職活動を始めたいんですけど。
先生はのんびりしていた。いやぁ、まだいいよ。年明けからで大丈夫。一九八〇年代末。美容学校の就職指導はのんびりしていた。
いや、それじゃあぼくが入りたい美容室には入れません。早めに行動したほうがいいと思うんです。
  いつになくはっきりとした物言いだった。その気迫に押されたのか、先生は言った。ま、好きにしなさい。
 
 幸司の判断は正しかった。有名店であり、全国有数の人気店でもあったその美容室に連絡すると、すぐに面接の日程が決まった。
 面接では、毎月お客として通っていること。卒業生の女性スタイリストにカットしてもらっていること。
尊敬する人なので、その人のもとで働きたいと思っていること。などを訴えた。
結果は合格。しかも幸司は憧れの青山店に配属された。 ここまではまさしくとんとん拍子だった。
 
 
福岡に行きたい   
 
 
  入社すると、幸司は気が抜けた状態になったしまった。目標。憧れ。その達成。
とたんに目標が無くなってしまう。イメージはあった。あの窓面でカットしている自分。自立している自分。
しかし、そこまでのプロセスが見えなかった。
  シャンプー。そのチェックに幸司はなかなか受からなかった。理由は練習しないから。
美容学校時代から、幸司は要領が良かった。試験の前の一夜漬け。
出題されるであろうポイントを、幸司はほとんど外さなかった。同様に、就職してからも幸司はヤマをかけた。
シャンプーでチェックされるのはココとココ。自分では押さえているつもり。
だけど実技は、しかもプロフェッショナルとしてお金をいただくための実技は、
練習を重ねないと身に付かない。なのに幸司は練習しなかった。なにか気持ちがふわふわしていた。
  有名店。人気店。そこでの新人教育の方針は、這い上がってくる者だけが生き残る。
つまりサバイバルである。何かを教えてもらえる。励ましてもらえる。一人前にしてくれる。
そんな甘い期待は通用しない。代わりはいくらでもいるのだ。
  ゴールデンウィークまでにシャンプーが受からなければ辞めるしかない。そんな雰囲気があった。
なのに、幸司は練習しない。残り一週間。ようやく火がついた。
チェックで見られるであろうポイントを徹底的に練習。そして合格。首はかろうじてつながった。
  ワインディングも同様だった。とにかく練習する気がない。深夜まで、あるいは家に持ち帰って練習するなんて考えたこともない。だがそんな幸司にも転機がやってきた。
  七月。その美容室が福岡に出店するというのだ。
スタッフの半数は現地採用。しかし半数は東京から異動する。
その異動メンバーに、幸司はなぜか立候補したのである。
 
 
 
ゆでがえるの話   
 
 
 最初は軽い気持ちだった。本音は自立したい。それだけ。自立というより独り暮らしがしたいのだ。
幸司は就職してからも東京・世田谷の実家に住んでいた。
  幸司が福岡行きに意欲を示している。その情報は店長に伝わった。すぐに呼び出しがかかる。幸司は近くの喫茶店に連れていかれた。
  初めての経験だった。店長とサシで喫茶店。なにか怒られるのかなぁ。ドキドキした。
店長は言った。倉品は九州に行きたいのか。
  来たっ。その件か。これは生半可なことは言えないぞ。
店長はさらに言う。ウチの店になんか問題があるのか。幸司は答える。いえ、そうじゃありません。僕は今までトントン拍子で生きてきました。
高校も入れたし、専門学校も無試験で入りました。就職も希望通りに出来ました。ということは今まで試練みたいなことに出会ったことがないんです。
だから今回の福岡が、自分にとってはいい試練になるんじゃないかと思うんです。
  こわばっていた店長の表情が和らいだ。そうか。そういうことならわかった。
そう言って、店長はしきりに感心しながら次のような話をしてくれた。
 
  ゆでがえるの話ってのがあるんだ。蛙ってさ、熱いお湯に入れるとびっくりして飛び出してくる。
だけどぬるま湯の中に入れられると気持ちよくてさ、のんびりしてたりする。
だけどそのままゆっくりと温度は上がっていくんだ。蛙は気づかずに漬かっている。
そして最後はゆで上がって死んでしまう。つまりな、ある環境にどっぷりとつかって安心してしまうと、自分も周りも見えなくなって危険だって話さ。
おまえは今、熱いお湯に自ら飛び込みたいんだな。
  はい、そうです。
  よし、わかった。これからな、いろんなことがある。だけど決断に迷ったときは面倒なほうを選べ。
みんながイヤがるほうを選ぶんだ。簡単な道じゃなくて、難しい道を選べよ。
 
  そこがスタートだった。幸司はようやく本来の自分を思い出した。つらい道、苦しい道を好んで選んでいた自分。
幸司は福岡店に赴任すると初日から精力的に動いた。まず、掃除。東京のやり方を福岡のスタッフに伝える。
シャンプーも同様だ。同期の最後になるまで受からなかったことなどおくびにも出さず、飄々と指導する。さらに、である。
幸司は独自にマニュアルをつくり始めた。だれかに指示されたわけではない。自発的につくった。必要だと感じたからつくった。
その行動が福岡店で高く評価された。評判はすぐに東京へも伝わる。
三か月が経つと、東京の新しい店長からそろそろ戻ってほしいとの要請が来るのである。
  東京へ戻ると、都内各店の店長たちが次々と幸司を褒め称えた。そのとき幸司は思った。
みんな、ちゃんと見ていてくれるんだ。がんばれば評価されるんだ。
  そこから幸司はようやく、美容にのめり込むことになる。よしっ、同期のなかでは絶対に一番でスタイリストデビューしてやる。
決意したのは一年目の十二月。入社して九ヵ月目のことである。
 
    高慢な鼻が伸びていく 
 
 デビューは入社三年目の秋だった。公約通り同期のなかでトップグループ。そこから幸司の快進撃が始める。
まず美容室を創業した「先生」が、幸司にカットしてほしいとセット面に座る。また「先生」がステージに立つときは、かならずアシスタントに幸司を指名した。美容雑誌で制服の特集があると、モデルとして幸司が抜擢されて掲載される。
メンズ特集があれば、先輩が幸司をモデルに指名する。さらに日々の仕事でも幸司は「自分」を表現した。
ぼくがカットするからかわいくなる。でしょ。やっぱりかわいいでしょ。
 
 二十代前半。幸司は自分を客観視できていなかった。先輩よりも自分が切ったほうが絶対にかわいい。
高慢な鼻はどんどん高く、伸びていった。
  ところが、である。あるとき幸司は立ち止まってしまう。このままでいいのか。自分は自分を表現できているのか。
美容師はアーティストだと思っていた。しかし現実はどうやらそうではない。サロンワークは流れ作業。
ヘアカットは約十分で完了。そうしないと回らない。それでも幸司は自己表現しようとした。
なんとか自分をヘアスタイルに滑り込ませよう、と。しかし限界があった。おかしい。とにかく好きなようにカットしていればお客さんは来るんだ。それが美容師だ。
なのになんでオーダーを聞かなきゃいけない。流行に合わせなきゃいけない。おれはアーティストなんだ。同じような流行ヘアをたくさんつくり出す工場の機械じゃない。
 
  幸司は写真を始めた。カメラを買い、自室に暗室をつくった。写真なら自己表現が出来ると思った。
荒木経惟に憧れた。私写真。荒木は妻を亡くしてから空ばかりを撮っていた。自分の感情を空に託した。
幸司も、空を撮った。モノクロで空を撮り、自分で現像して焼いた。オーダーのない世界。自分とだけ向きあう時間。幸司が暗室にこもると、いつも夜明けまで出てこなかった。
  遅刻が増え始めた。店長に呼び出された。今度は本当に叱られた。幸司は店長に言った。写真をやりたいんです。
写真の専門学校に行くか、スタジオで働くか。とにかくゼロから始めたい。すると店長はこう諭すのである。わかった。だけどな、もう少し考えてみようよ。
写真もつづければいい。でも美容師もつづけようよ。写真は趣味でもつづけられるけど、美容師は趣味ではできないから。
  その店長の言葉に、幸司は今でも感謝している。結果的に幸司はいまも美容師をつづけているのだ。
 
 
美容師とはなんだ   
 

  本当は店長候補だった。期待もされていた。だけど幸司は乗れなかった。売上をあげるために仕事をするのか。
それともアーティストとして自分を表現するから、売り上げに結びつくのか。美容師とは、なんだ。
幸司は自分のなかに根元的な問いを抱えていた。葛藤していた。
  十年はやろう。そう決意していた。反対した父親に認めてもらうためにも十年。だがその十年が長かった。
幸司は自分の感情をねじ伏せながら仕事を続けた。唯一、解放できるのは写真。暗室作業。
だけどその暗室も、店長に諭されてからは閉鎖してしまった。ちゃんと寝て、お客さまに備えよう。
  そのうちに美容ブームがやってくる。スタイリストの仕事はますます流れ作業の一部になる。
まずアシスタントの教育。いかに効率よく動ける後輩を育てるか。
それから演技力。アシスタントに多くを委ねていながら、さもすべて自分がやったかのように振る舞う演技力。どぅ、かわいくなったでしょ。にこっ。
  そうすればお客さんをたくさん取れるのだ。売上が上がり、給料も増える。いい服を着て、おいしいものも食べられる。
だけど納得いかないのだ。どうしてもその事態を消化できない。
どんなに豊かになったとしても、有名になったとしても、自分の求めているものとは違う。自分の生き方として、違うような気がするのだ。
  美容ブームがピークに達した年。一九九九年の三月。幸司は十年勤めた美容室を辞めた。
「先生」は言った。十年勤めてくれたんだから、お客さまを持っていって独立していいよ。
だけど幸司は辞退した。旅に出よう。そう思った。
 
  自分を勘定に入れずに 
   
   七ヵ月半である。二十九歳の幸司は、世界を旅して回った。
まず米国に入り、メキシコへ行き、ヨーロッパを回ってアフリカへ。
さらにアジア全域。
 旅が本当に楽しかったのは最初の二ヵ月である。三ヵ月目からは
少しずつ自己嫌悪が忍び寄る。自分はなにをやってるんだろう。
最初はハサミとコームを荷物のなかに潜ませていた。
だけど一カ月で日本に送り返した。
持っているだけで、中途半端な気がした。
  旅は、幸司に政治を語った。戦争を語り、宗教を語り、格差を語った。
特に格差の現実は、強烈な衝撃とともに幸司の中枢を撃った。
自分が貧しくて食べるものもないのに、人に分け与えれるものなのか。
それが旅を貫く大きなテーマとなっていった。
自分は何者だ。何ができるのだ。
  自分にはできない。それが結論だった。
まず自分が食べられなければ、人に分け与えることはできない。
そのとき、アジアの空のもとで読んだ宮沢賢治の
「雨ニモマケズ」が幸司を直撃した。
 
  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
  丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラツテイル

    幸司が感動したのはその次のフレーズだった。

  一日ニ玄米四合ト
  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニ
  ヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ


 (後略)



  自分を勘定に入れずに。それが果たしてできるのか。ぼくにはできない。そう思った。
やっぱり自分のことを勘定に入れてしまうし、自分が不幸せなのに人を幸福になんかできない。
ならば、と幸司は考えた。アジアの、人の海のなかで考えた。
自分が誇りに思えることをしていること。正しいと思えることをしていること。自分が幸福だと思えることをしていること。
それを前提として初めて、人の重荷も受け入れることが出来る。悩みも聞いてあげることもできる。アドバイスもしてあげれる。
ならばまず自分が自分の職業を通して、幸福だと思えること。そこが一番大事なんじゃないのか。
  自分を振り返った。 毎日気の向くままにぶらぶら歩いて、メシ喰って寝て。ただお金だけがどんどん減っていく。
 
なんの役にも立ってない。オレは人の役に立ってない。
ならば何が役に立つのだ。オレは何で人の役に立てるのだ。
  美容だっ。気づいた。美容は目の前にお客さまがいる。
カットしてあげると笑顔になって、ありがとうと感謝してくれる。
それこそ人の役に立つ仕事じゃないのか。 自分はそれができるのではないのか。
  アジアの、小さなバスターミナル。嵐の夜だった。人はだれもいなかった。
風と雨が狂ったように窓や壁に叩きつけられる。
薄暗いプラットホームの片隅にぽつんと座っている自分。独りの自分。
そのとき思った。オレ、このまま死んでもだれにも気づかれない。
それでいいのか。
こんなことをやっていてもしょうがないんじゃないか。
  感情が一気にせり上がって来た。働きたいっ。
人の役に立ちたいっ。美容師を、やり直したいっ。
 
   
心の重荷をおろしに来る   
   
  十代のころに選んだ美容師は自立の手段だった。
オシャレしたい。モテたい。それが動機だった。
 
しかし三十歳になる前に世界を放浪しながら選んだ。もう一度、美容師を選んだ。選び直した。人の役に立つ仕事として。
  そう考えると、美容師がすごくいい仕事に思えてきた。自分が幸福になれる仕事に思えてきた。
だからこそお客さまも幸福になれる。お客さまから感謝される仕事。
それは忙しすぎて、数をこなしているときには麻痺して見えなくなっていた感覚だった。
だけどこれからは違う。一人ひとりのお客さまの役に立ち、その笑顔を、感謝を生きる糧にしていくのだ。
  帰ろう。日本に帰ろう。
日本に帰って、美容師になろう。ホンモノの美容師に。
  帰国した。日本を後にして七ヵ月半が経っていた。

  倉品幸司はまず、以前お世話になった店長のサロンで働いた。四年間。
それから自分のサロンを持った。
  本当は経営なんかしたくなかった。必ず葛藤が始まると感じていたからだ。
だけど自分がつかんだ新しい美容師像を追及しつづけるには、やはり自分のサロンが必要だった。
  お客さまの役に立つヘアカット。それは家で簡単に再現できるヘアカットだった。そこまではだれもが言う。
だけど幸司がたどり着いたのはもうひとつある。それは「持ち」である。
二ヵ月でも三ヵ月でも持つカット。これができればお客さまに感謝してもらえる。
だけど美容室経営者は感謝しない。来店頻度が低くなるからだ。
だけど幸司のサロンは「お客さまの役に立つ」ために存在する。自分の金儲けのためではない。
だから幸司は真っ先に「持ち」の研究を開始した。
 試行錯誤である。 自分のお客さまが一ヵ月後、二ヵ月後に帰ってくる。
その髪を見て、研究するのだ。こうすればもっと持つ。
ここは伸びるとバランスが崩れるから、もう少しカットしよう。
何度も何度も繰り返すうちに、幸司のカットは最低でも二、三ヵ月は持つようになった。
それで来店する頻度が少なくなるお客さまもいた。
だけど変わらないお客さまもいるのだ。カットの必要がないのに来るお客さま。
その存在に当初、幸司は戸惑った。
なぜだ。オレのカットは役に立たなかったのか。しかし、あるとき理由がわかった。
お客さまは悩みを打ち明ける。幸司と論議をしにくる。
つまり「髪と一緒に心の重荷をおろしに来る」のだ。
 
あなたはいま幸せですか 
 
 倉品幸司のサロンは『dress』。代々木上原の住宅街にある。
そこには都内の女性たちに加えて、美容師がやってくる。美容学校生もやってくる。
サロンでは時々、大声で論議が始まる。
政治のこと。経済のこと。戦争のこと。宗教のこと。
どんな話題でも、ここではオープン。
  ある有名企業のリストラのニュースを題材に幸司の声が響く。
だいたいね、経営者は若い人間の命を消費しちゃいけないんだよ。
大人がそんなことしちゃいけない。だけどね、今大人はみんな数字合わせのゲームしてる。
そこに若い人たちがどんどん巻き込まれてる。
数字をあげるマシーンに育て上げてさ。人生を消費させられている。
だから若いコが未来を描けない。夢も希望もない。
 
いつクビになるかわかんない、部品のような人生。若者の未来を大人が搾取しつづけている。それじゃダメなんだよ。
  日本の社会は曲がり角にきている。経済も、政治も、教育も。あたらしい道を歩むには、あたらしい哲学が必要だ。
その哲学を、幸司は一言で表現する。幸福論だ、と。
自分が幸福であれば、人を幸福にできる。ならば、自分が幸福だと思う状態をもう一度考えるべきだ、と。
  あなたはいま、幸せですか。幸司はそう問いかける。
全国の美容師に、問いかける。人として幸せですか。それを一日かけて、一週間かけて真剣に考えてみませんか、と。
  幸せじゃないと思うのならば、それはなぜか。幸せだと思うのは、なぜか。
それをじっくりと考える時間が、忙しい大人たちにはない。特に美容師は十代で職業を選択し、それからずっと走り続けている。
一度、立ち止まって考えること。自分の幸せについて考えること。そこからもう一度、美容師という仕事を選び直すこと。
美容師になってよかった。
幸せだと思えること。それが本当のスタートだ。
そう幸司は言うのだ。
 
 
世の中を変えるあなたの力   
 
 
 倉品幸司は言った。
ぼくには力がないけど、有名な美容師さんがそう伝えてくれたら。
雑誌とかで、たいへんだけど幸福な仕事だよ、と。そうしたら何かが変わると思う。
 
  いや違うのだ。本当に影響力があるのは、有名美容師ではない。
あなたなのだ。あなたを含めた全国の、一人ひとりの美容師なのだ。
全国の、四十五万人の美容師全員がもう一度、美容師という職業を選び直す。
全国の美容師が、自分は幸せだと思いながら、笑顔ではつらつと仕事をする。
身近な美容師が輝いていれば、そこに通う中学生・高校生は憧れを持つ。
美容師になりたいと思う子どもたちは、そうやって生まれてくる。
 
  全国の美容室で、美容師が子どもたちに夢を語ること。
なにより幸福について語ること。これこそが世の中を変える力ではないだろうか。

  美容室の影響力を過小評価してはいけない。
なぜなら美容室は全国に約二十万軒。
その数は郵便局の約十倍。コンビニエンスストア全体の約五倍なのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
倉品 幸司

東京綜合美容専門学校卒。 とにかく一日でも早く親から自立したい。それが美容師になる動機だった。 新卒で就職したのは『SHIMA』。そこで10年、勤めあげた。 が、その間、美容師のあり方について葛藤し、退職後、旅に出る。 まずアメリカへ。メキシコからヨーロッパへ。アフリカからアジアへ。 7カ月半もの間、世界を放浪。その間に初めて、美容師に目覚める。 美容師の素晴らしさに気づき、美容師である事の幸福を知る。  帰国後、4年間『SideBurn』に勤め、独立。2004年2月、代々木上原に『 dress 』をオープン。  美容師の影響力を心から信じ、 子どもたちにとって身近な大人としての自覚と振る舞いを追求しつづけている。東京都出身。38歳。(2008年7月現在)