「 キツネツキ 」










            1


   ある晴れた穏やかな日の午後、僕は突然、キツネにとり憑かれた。というか、キツネが憑いている事を知らされた。
  この半年というもの何をやってもうまくゆかない日々が続いていた。必死でもがいて、何かをしようとすればする程、泥沼に堕ちてゆくような日々だった。それまでの僕はといえば、決して、ネガティブなほうではなく、いや、ネガティブだからこそ必死でポジティブに考え直し、前向きに生きてきたのかもしれない。
  そして、たいていの現実的な困難は自分自身の力でその都度乗り越えてきたつもりだし、自分の運命は自分の努力によってのみ変えていけると信じていた。でも今は、前向きに頑張れば頑張るほど、もがけばもがくほど、足元を蜘蛛の糸に絡めとられてゆくような、そんな日々の連続だった。

  自分で、自分は躁鬱ではないかと思いだしたのがおよそ、半年ほど前。しかし、ふと気がつけば躁が無い。
  そう、鬱だ。僕はうつ病になってしまったのだ、と思った。特にこの二ヶ月、僕は苦しくて、苦しくて仕方がなかった。その頃、具体的に何かが決定的に上手くいっていなかった訳では無いと思う。しかし仕事の事、恋愛の事、将来の事、その全ての歯車が少しずつ何者かの手によって狂い始めているように思えた。たぶん、健康な精神状態であればそこまで悲観するような状況では無かったのかもしれない。それどころか、傍から見ればずいぶんと恵まれた環境にいるように見えたかもしれない。それでも、その時の自分にとっては、このままこの世から消えていなくなってしまいたいような気持ちでいっぱいになっていた。

  何度、電車をまたぐ高架の上から電車の来るタイミングを見計らった事だろう。何度、夜中の井の頭通りにふらふらと辿り着いた事だろう。その度に僕の足を引きとめたのは両親の顔だった。精神病院に行こうかと何度も考えた。でも、クスリ漬けになるのが怖かった。クスリ漬けになってまで生きてゆく価値がいったい今の僕に、今の日本にあるとゆうのだろうか。

  そんな鬱々とした日々が過ぎてゆく中、このままでは僕は本当に死を選んでしまうかもしれない、と思い僕は勇気を出して、そういった今の自分の心境を両親に告白する事にした。そしてある晩、僕は両親の許を訪ね、
  「もう、僕は死にたい。死にたくてたまらなくなる瞬間がある」 と告白した。
すると、僕の話を黙って聞いていた父と母は、涙を流しながら僕を抱きしめてくれた。もうすぐ七十になる父の涙を見たのは、この時がはじめての事だった。
  僕はもしかしたら、父と母を憎んでいたのかもしれない。決して裕福ではなかった家庭で、父と母は必死で働き、僕たち兄弟三人を育ててくれた。父はいつも怒鳴っていた。母はいつも泣いていた。三人兄弟の真ん中で育った僕は、いつも孤独だった。孤独だったゆえに早くに自立した。早く家を出て行きたかった。そんな自分の生い立ちを、いつもどこかで憎んでいたのだと思う。だけど今、そんな僕の目の前で父と母が僕の為に涙を流しながら僕を抱きしめていた。

  マダ、イキラレルカモシレナイ
  そしてそんな僕を見かねた母は、母がいつも行くという占い師のところへ、僕を連れて行ってくれる事になった。母がその占い師の所へ年に二、三度見てもらいに行っている事は母に以前から聞いてはいたので、僕もその占い師の存在は知っていた。
母は自分の宿命を転換させる為に、自分の持っている気の流れを教えてもらいに行くのだ、と言っていた。 その占い師は ミえる らしい。

           2

          ある晴れた穏やかな日の午後、僕は母と待ち合わせをして、その占い師の所へ向かった。その占い師は、菅野さんといって五十を少し過ぎた頃の女性という事だった。
彼女は、小田急線沿線の経堂という町の、ごく普通の民家でそれを行っているという。自宅から彼女の家までは徒歩で約四十分かかるということだったが、僕と母は自宅を一時間前には出て、のんびりと歩いていく事にした。そして約束の午後一時ちょうどに彼女の家を訪ねた。
  すぐに出迎えてくれた彼女に、家の中に案内されると、僕は、突然僕の足元にいた白い小さなポメラニアンに吠え立てられた。そして彼女は、僕を一目見るなり言った。

  「アア、キツネガイルワネ」
僕は、奥の部屋に通され、彼女に促されるまま、テーブルを挟んで彼女の向かい側のイスに座らされた。部屋は六畳ほどの広さで、民家によく見られる造りをした普通の居間で、部屋の中にはテーブルが一つと、椅子が三脚置いてあり、彼女の座った席の後ろには五段組みの本棚が二つ据付けられていた。僕の座った席の後ろには二人掛けのソファが置かれていて、そのソファにはさっきまで興奮して僕を吠え続けていたポメラニアンが、今ではすっかりおとなしくなって、伏せをした体勢のまま僕の方をじっと見つめていた。母は別の部屋で待っていてくれる事になった。

  「じゃあ、始めましょうか」
と彼女は言うと、僕に名前と生年月日を聞き、それをノートに書き写した後、僕に不思議な形を持った三つのサイコロを三個同時に投げさせた。彼女は出た数字をノートに書き写した。そして、   それと同じ事を僕に三度繰り返させると、彼女は出た数字をいちいちノートに書き写していった。それが済むと今度は、彼女はぶつぶつと何か独り言を言いながら、ノートの上でなにやら計算を始めた。そして、彼女は、
  「私のは占いじゃないの、これは物理なのよ」と言った。
よく意味が分からなかった。

  そして、おもむろに彼女は僕に結果を告げた。
  「この半年は良くないわね。大変だったでしょう。特にこの二ヶ月は、本当に苦しかったんじゃないの?」
その通りだった。そして彼女は続けて、
  「でもね、今はそうゆう時期なのよ。ほら見て」と言って、僕に普段見慣れない難しい漢字の並んだ八角形の表を見せた。
  「ほら、今あなたは此処にいるの。ねっ。今あなたは八方を囲まれた真ん中にいるの。だから今は何をやってもうまくいかないの。八方塞なのよ」
僕は、目からウロコの落ちる音を聞いた。
  「ハッポウフサガリ」って、こうゆう時に使うんだ。僕はその言葉に妙に納得してしまった。
  その時の僕は、すでに彼女の言葉を信用していた。
  実は、僕は今まで生きてきて占いというものをあまり信じた事が無かった。しかし、この女性の言う事は信じざるを得なかった。何故ならばそれは、占いを始めて一番最初に、彼女にこう、言われたからだ。
  「あなたの家の水周りは北東にあるでしょう。それが良くないわね。お金が出て行くのよ、その方角は。入ってきても、すぐ出てゆくでしょう」
それは、僕以外誰も知らない、いや、僕ですらよく分かっていない事だった。
  「えっ、ちょっと待ってください」 
  僕は頭の中で自分の部屋の位置を考えてみた。そして太陽の昇る方角と、太陽の沈む方角を。確かに、北東かもしれない。いいや、確かにそうだ。
  「なんで、北東って分かるんですか?」
  彼女は答える。
  「だって、そうなのよ。北東なのよ」

  僕は、ぞっとした。これで、僕はこの後の彼女の言葉を信用せざるを得なくなってしまったのだ。
  これは後日談だけれど、家に帰ってから僕は、早速水周りを方位磁石で調べてみたら、それはぴったりと北東の方角を指していたのだ。
  それから彼女は、僕のこの半年の状態と今後の状態を説明してくれて、その一つ一つの対処法を教えてくれた。それと最後に、僕がこれからやるべき事を僕に告げた。
  一つは、埼玉県の越谷の久伊豆神社に行って、厄除けのお祓いをして来る事、
  一つは、千葉県の犬吠崎の満願寺に行って、先祖供養をしてもらい、その足で海に行き、お願い事を書いたゆで卵を海に投げてくる事、
  そして最後に、神奈川県の秦野にある白笹稲荷神社に行って、キツネのお祓いをしてくる事、   彼女曰く、祖母方の本家の裏山にお稲荷さんがあって、それが最近このお稲荷さんを、ふさわしくない方角に移動した事で、おキツネ様が怒っている、それを誰かに知ってほしくて、僕に憑いて悪さをしている、という事だった。これも後から母に聞いたら、確かにそのお稲荷さんは実在していて、、今年の四月頃に彼女が言っていた方角に、少しだけ移動していた、という事だった。
 
  この三つだった。
  この時の僕は、本当に神でも仏でも誰でもいいから助けてくれ、という精神状態だったので、とにかく彼女のいう事を素直に聞こうと思っていた。
  僕は、早速その次の休みに父親の運転する車で僕と母と三人で越谷に行く事を彼女に約束して、お礼を言ってからその場を後にした。
  その日の夜、僕は不思議な夢を見た。
  僕は夢の中で、小さい頃の自分に戻っていて、何処かの真っ白い部屋でひとり泣いているのだ。
  僕はお兄ちゃんにいじめられて、家の近所にあるその古い民家に逃げ込んできたみたいだった。今にも崩れ落ちそうなその家は、もはや誰も住んでいない様子で、木製の引き戸をガラガラと開けると右手前に土間があり、左手の障子の奥には居間があるらしかった。
僕は土間の奥へと進んで行き、もう一つの引き戸を開けるとそこには二階へ続く階段があった。外から見たときには確かに平屋だったはずなのに、と思いながら恐る恐る階段を上がっていった。

  すると目の前に真っ白い部屋が現れて、部屋の中央には唐突もなくプールがあった。部屋は二十畳くらいの広さで、床も壁も天井も後からペンキで塗られたかのように真っ白だった。プールの底と側面はきれいな水色に塗られていて、そこには、今入れたばかりのようにひんやりと冷たい、透き通った水がピーンと張られていた。
  部屋には窓も灯りも無かったのだが、何故かプールの水は何処からか光を連れてきて、プール自体がきらきらと輝いて見えた。そしてその水面の輝く揺らめきが部屋中に乱反射して、その部屋全体が遠い輝きの中に浮かんでいるように見えた。

  そのプールの向こう側の、左の部屋の隅っこには古い木製の文机が置かれていて、それはおじいちゃんの形見の文机のように見えた。古くて丈夫な木材で作られたその文机は、なんとなく僕に恐ろしい印象を与えていた。
僕がプールの脇を通り部屋の右奥に進むと、その右側にまた階段が現れた。どうやらそれは立体駐車場のように螺旋構造になっているらしかった。階段を上がっていくとまた、さっきとまるで同じ様に中央にプールのある部屋が現れた。僕は更にプールの横を通り過ぎて、次の階段を上がっていった。するとやはりまた、同じ部屋が現れる。結局それは五階か六階くらいまで続いていて、その全てが同じ造りの部屋になっていた。
  そして、そのてっぺんの部屋はそこで全てが完結していて、そこから先、僕は何処へも行けず、そこが世界の終わりの様な印象を僕に与えていた。

  僕はそのてっぺんの部屋まで行くと急に怖くなって、一階分か二階分の階段を走って下りたところで、部屋の片隅にうずくまる様にしてしゃがみ込んでしまった。
足が諤々と震えて止まらなかった。
誰かが僕を探しに来てくれれば良いと思った。
でも誰も探しには来てくれず、僕はその部屋の片隅で、美しくも哀しい旋律を奏でる、きらきらと水色に輝くプールの水面をいつまでも見ながら、ひとりだけ何処か;別の宇宙に連れてこられてしまった様な気がしていた。

  しばらくすると、階下で僕を探す声が聞こえてきた。それはお兄ちゃんとお母さんの声だった。
  「こうじー、こーちゃーん。どこにいるのー?」
  「こうじー、お前ここにいるんだろー。こうじー、出てこいよー」
二人には一階の土間の奥にある引き戸が見えないみたいだった。少しすると、二人の声が聞こえなくなって、僕は急に心細くなって必死で「お母さーん」と叫びながら階段を駆けて下りていった。それは五階や六階どころでは無かった。だけど何故だか下りても、下りても、どうしても一階には辿り着けなかった。僕は泣いた。床にしゃがみ込んでくしゃくしゃになって泣いていた。お母さんの声がまた聞こえてきた。
  「こうじー、こーちゃーん。ここにいるのー?」
今度は、お兄ちゃんの声が聞こえてきた。
  「大丈夫だよ、きっとここにいるよ。ここで待ってようよ」
  「そーお?じゃあ、ここで待ってようかしら」とお母さんが言った。
僕はもう一度立ち上がって階段を下りていくと、不思議と今度はすんなり一階に辿り着くことが出来た。すると、障子の奥の部屋からお母さんが、
  「こうじ?こうちゃんなの?」
と言って、部屋から出てきて無事お母さんと対面、する直前に目が覚めてしまった。
夢から覚醒した僕の目には涙が滲んでいた。
  それから数日後、僕たちは越谷に行く日を迎えた。
自宅から久伊豆神社までは、車で約二時間半の距離だった。僕たちは途中何度か人に道を尋ねながらも、なんとか無事に久伊豆神社に辿り着く事が出来た。久伊豆神社は参道が二百メートルはあるとてもりっぱな神社だった。しかしその日は、平日の雨の午後ということもあり、僕たちの他に人影はまばらで、何処かひんやりとした、物寂しい空気が漂っていた。
そして、僕が厄除けのお祓いをしてもらった後、帰り道の途中の国道沿いのラーメン屋に寄って、三人でラーメンをすすって帰った。三人だけで外でごはんを食べるのはとても久しぶりのような気がした。いや、過去にそんな事があったかどうかも思い出せなかった。

  そして翌週の休みには、今度は母と二人で犬吠崎に行った。
  朝、七時に家を出た。その日は朝からとても素晴しい秋晴れの空だった。
自宅から先ず東京駅に行き、そこで電車を乗り換え、銚子まで行く。銚子から銚子電鉄に乗り換えると、その古びた昔懐かしい電車は緑のトンネルを抜けて、約十分で犬吠崎駅に着く。駅からお寺まで歩いて約五分、万願寺に辿り着いたのは十二時を少し過ぎた頃だった。
  万願寺もまた、とても立派な造りのお寺で、そこには全国から何万人もの信者が訪れるという事だった。
  お寺に着いた僕と母は早速、若い女性の僧に先祖供養のお経をあげてもらうと、海まで約十五分の道のりをゆっくりと歩いて、海を臨む岩場の上に立った。そして海にむかってゆで卵を思いっきり投げた。
  ゆで卵は昨夜のうちに母親が準備しておいてくれた。何個でもいい、というので僕は、ずいぶんと勝手なお願い事の書かれたゆで卵を八個も投げた。僕のすぐとなりで、母もゆで卵を投げていた。二人でどっちが遠くに投げられるか競争した。 
  なんだか、とても可笑しかった。
  こんな遠くまで来て、こんな事を本気でしている事、そして、そんな息子に文句一つ言わずに付き合って、一緒になってゆで卵を海に投げている母、その事が。
そして空はどこまでも青く、吹いてくる風はどこまでも心地良かった。
それから二人で天ぷらそばを食べて帰った。家に着いたのは夜の八時をまわっていた。

  最後のキツネのお祓いは、僕の仕事の都合もあって、三週間後に行く事になっていた。その時はまた、父が車を出してくれ、三人で行く事にしていた。ところが、翌週のある朝、眠れない夜を過ごした ( このころ、不眠にもまた、悩まされていた )僕の体に異変が起きた。

  ミギテガ、ウゴカナイ

  実はこの頃、どうしようもなく自分の感情を抑えきれなくなる瞬間があると、「死にたい」と思うような日々が断続的に続いていて、さらに鬱がひどくなると今度は呼吸困難に陥り、全身がしびれてきてから右腕が徐々に重くなって、思うように動かなくなるという事がしばしば起こっていた。
たぶん、思い込みによる自己暗示のようなものかもしれないけれど、とにかく右腕がずっしりと重くなって、動かなくなる。僕は美容師を生業としていた。言ってみれば、右手は僕にとって命も同じ。学歴も無ければ、お金も無い。そんな僕にとって右手が動かないという事は、致命的であり、生きている意味さえ分からなくなる。 

  シニタイ 

  僕は、早朝にもかかわらず、泣きながら母に電話して、
  「だめだ、もうだめだ。右手が動かない、死にたくなる、死にたい」
そう、母に打ち明けると、
  「分かった。大丈夫、大丈夫だから。ねっ、絶対に大丈夫だから。お母さんがついているから」
そう言って、母は僕をなだめた。僕は、


  「今日、仕事休んで白笹神社に行きたい。神社に行ってキツネを取りたい。お母さん、今日、空いてる?一緒に行ってくれる?」と、泣きながら訴えていた。母は、
  「分かった、じゃあ、お母さん、自分の用事早く済ませて待ってるから、一緒に行こう」と、言ってくれた。

  一時間後に待ち合わせをした僕と母は、小田急線に乗って秦野に向かった。
突然の事だったので父には仕事があり、僕は母と二人で行く事になった。秦野のまでは急行を使い、約一時間程で着くことが出来た。秦野の駅から白笹神社へは、道が曲がりくねり、とても分かりづらかったので、タクシーを使った。だけどタクシーの中で、僕は母とちょっとした事で口論になり、僕はパニックに陥ってしまった。そして、僕はタクシーの中でずっと泣いていた。
タクシーが神社に着くと僕はタクシーを飛び降り、鳥居の所に座り込み、訳の分からないまま、母に、当たり散らしていた。何でもいい、誰でもいいから僕の話を聞いてほしかった。ただ、自分の高ぶった気持ちを誰かにぶつけたかっただけなんだと思う。しかし自分でもそれをどうしようもなく押さえ切れなくなっていた。そして僕は泣き続けた。泣いても、泣いても涙は止まらなかった。右手が動かなかった。     

  母は、僕をどう扱ってよいのか分からず、少し、離れた場所から僕を見守っていた。僕は、泣きながら立て続けに三本ばかり煙草を吸って、とても深い深呼吸をすると、少しだけ気を取り戻す事ができた。そして僕はたっぷりと時間をかけて立ち上がり、母の所へ歩いて行った。
母は僕に「大丈夫?」と聞いてから二人でゆっくりと歩き出した。そこから玉砂利のひかれた参道を二、三分程歩いてゆくと、道の左側の奥に神社の社務所みたいな木造の建物があった。ふと見るとその建物の入り口に一匹の白い猫がうずくまっていた。僕がのど元を撫でてやるとその猫はとても気持ち良さそうにして目を細めていた。

  母はそこで人を呼ぶと、
  「すみませんが今日はこの子に憑いているキツネのお祓いをしてほしいのですが」
と、神社の人に伝えた。すると、神社の人は別段驚く様子もなく、さも慣れた様子で、
  「分かりました。では、こちらで少々お待ちください」
と言って、僕と母を薄暗い待合所のような場所に案内して、お茶を入れてくれた。
僕は、その間にもまた涙が出てきて、自分でも何がこんなにも悲しくて、何故こんなにも涙が出てくるのか、分からなかった。それから十分程すると、神社の人が迎えに来て、
  「こちらの方へどうぞ」
と言って、僕と母を神殿の方へ案内してくれた。

  神殿の中では一人の女性の神主さんが待っていて、僕と母を中へ迎え入れてくれた。
母は、神主さんに、
  「今日はこの子に憑いているキツネを取っていただきたいんです」
と言って、それから、
  「それが、今、この子と此処へ入ってくる前に、急にこの子が泣き出して、入り口の鳥居の所から一歩も動けなくなってしまいまして、それはこの子に憑いているキツネがこの子から離れるのがいやで、それで神社に入ってこれなくしようとしてたんですかねえ?」なんて続けた。神主さんはちょっと困ったように、
  「そうですねえ、そうゆう事もあるかもしれませんねえ」とだけ、答えた。
そのやり取りをぼんやりと聞いていた僕は、馬鹿みたいな話だけど、何だか本当にそうなんじゃないか、という気がしていた。そして神主さんは、
  「それでは、お祓いを始めさせていただきますね」
と言って、僕と母を畳の上に座らせると、
  「それでは、祈祷を始めます」と言って、祈祷を始めた。

  祈祷が始まるとまた、何故だか急に涙が溢れてきた。
僕は、今までほとんど信仰心が無かったので、神主さんが何を言っているのか、まるで分からなかったけれど、とにかく、また、泣いていた。一体何処からこんなに涙が溢れてくるのだろう、自分でも不思議な位だった。泣けども、泣けども涙が溢れてきて、正座をしていた僕の太ももは涙でびしょびしょになっていた。こんなに目から水分が出たのは、生まれて初めての事だった。

  それから、どれ位の時が過ぎたのだろう、神主さんが、
  「これで、お祓いが済みました。最後に前の方に来て、神様の前で二拝、二拍手、一拝して、お祈りして下さい」と言った。
僕と母は、順にその言葉に従った。
それが済むと神主さんが、
  「今日はこれでおしまいですが、今日一日は少し、体がだるい事があるかもしれません。まだ少し残っていますが、一晩ゆっくり寝て、明日になればすっきりしているはずですから」と言った。
本当に、だるかった。が、涙はいつの間にか止まっていて、右手も普通に動いていた。
神主さんが母に言った。
  「この方は、本当にやさしい人ですね」
僕は、今日、この神主さんとは一言も言葉を交わしてはいなかった。母は、
  「そうですねえ、この子は本当にやさしい子だと思います」と言った。
神主さんは頷いていたが、それ以上言葉は無く、会話はそれで途切れて終わった。
僕と母は、神主さんにお礼を言い、白笹稲荷神社を後にした。

  境内には秋の初めの気持ちの良い風が吹いていた。  

                    3

  それから数ヶ月、今となっては、僕に本当にキツネが憑いていたのか憑いていなかったのか、もし憑いていたのなら、それが取れたのか取れなかったのか、それは僕にも母にも分からない。