「 フラミンゴの街角で 」








  僕のいたその街は、いつだってフラミンゴ色に染まっていた。 その時僕が滞在していた、アトランティック・オーシャンを臨むその街では、どうやら、フラミンゴが一つの象徴になっているみたいだった。街のはずれにはフラミンゴパークもあるし、フラミンゴカフェだって、街中にいくつもあった。そして、当のフラミンゴ達も普通の顔をして街の中を散歩している、という具合だった。
僕は、その街では毎日のように昼ごろに起き出しては、コロナビールとサンドイッチを持ってビーチに行き、ウォークマンでスティングの昔のアルバムを聞きながら本を読み、身体が熱を帯びてくるとひと泳ぎして身体の火照りを冷まし、それに飽きると今度はビーチ沿いのスターバックスカフェに行って、アトランティック・オーシャンを見ながら、いつものカフェモカを飲みつつ、日記やら手紙やら、時には暇に任せてささやかな短編小説やらを書いた。夜になればなったでホテルからフラミンゴパークまでの道のりをジョギングしたりして、人生をまったく無駄にしながら過ごしていた。
その海は、上に乗ったアイスクリームが半分溶けて、液体と交じり合ったクリームソーダの様な色をしていたし、空からは、オレンジやらグレープフルーツやらを育てるにはうってつけの太陽の日差しが、溢れるほど降りそそいでいた。そして地面が火傷するほど熱くなる頃には、絶妙のタイミングでスコールが堕ちてきて、地面の熱を冷ましていってくれる。

  僕には、この街でやるべき事も無ければ行くべき所も無かった。ただそんな風にして過ぎてゆく時間を楽しみながら、なんとなくやり過ごしていれば良かったのだ。
街には様々な人々が行き交っていた。見るからに裕福そうな家族連れや、人生の頂点のような幸福感を全身で表現している新婚らしきカップル、現役を引退し悠々自適な老後を楽しむ老夫婦、西海岸から流れて来たかの様な、ヒッピー風の若者達、時折、僕の様な場違いな貧乏バックパッカーやキューバやプエルトリコ辺りから仕事を求めこの地にやって来たスペイン語訛りの英語を話す人々。
海に目をやれば、沖の方ではロングボードが波の間で、ゆらゆら浮かび、波打ち際では水遊びに興じる子供達がはしゃいでいる。パラソルの下ではカップルが読書をし、ビーチチェアでは白人が、その肌が真っ赤になるまで焼いている。トップレスの美しいおっぱいも、そうではないおっぱいも、九割方はみ出したおしりも、それを横目で見つめる男達の瞳も、みんな、太陽の光でキラキラと輝いていた。とにかく誰もが幸せそうに勝手気ままにやっているので、僕もまた勝手気ままに過ごしながら、そんな人々を眺めているだけで充分、楽しい日々を送っていた。
 
  ところで、ここで一つだけ気になった事がある。それはトップレスОKの場所とトップレスNGの場所との非常に曖昧な境界線についてだ。ビーチにはたくさんのトップレスのお姉さま達が居る。歩道にはおっぱいを出して歩いているお姉さまはただの一人も居ない。ビーチの手前にはアスファルトの歩道が海岸線に沿って走っている。しかし、その境界にはフェンスも無ければ柵も無い。一歩踏み出せば、すぐそこは砂浜である。歩道のとなりにはドライブコースが平行して走っている。ここにもやはりガードレールも無ければ何も無い。ただ白いラインが虚しく引かれているだけだ。
  彼女達は歩道を歩く時にはブラジャーを着け、Tシャツを着る。しかし一歩ビーチ側に入ると、Tシャツを脱ぎ、ブラジャーを外し、おっぱいを出す。そしてまた歩道に出る時にはおっぱいを隠す。
この時、彼女達の心理に一体何が作用し、何が彼女達にそのような行動を取らせるのか、僕にはさっぱり理解出来ない、という事だ。ビーチと歩道の間には何一つ区切るものは無いのだ。
まあ、僕としては、色々なおっぱいをそれとなく観察出来るので、本当はそんな事はどうでも良いのだけど、ただちょっと気になったというだけの事だ。   そして夕暮れ時になると、決まってスコールが降り出して、街の一日分の汚れた空気をきれいに洗い流してゆく。十五分もすれば、スコールは上がり、にわかに街にネオンライトが輝き出して、街は徐々に活気を帯びてくる。人々は足早に通りを立ち去って、交差点では雨上がりに出来たばかりの水溜りの泥水を勢いよく跳ね上げながら、体の大きなアメ車たちが走り抜けてゆく。
スコールに濡れたアスファルトに車のヘッドライトの光が反射する。その眩しさに僕は思わず目をそらす。そこで小さな子供と目が合う。子供は目をそらさない。
僕もじっと、彼を見つめる。子供は決して目をそらさない。

  ソフトクリームを頬張りながら、大股で街を闊歩するファットな女たち。
タバコをせがむホームレス。
汗の匂いを必死で探すモスキート。
街に漂うピナコラーダの甘い香り。
僕は、いつものカフェでスコールをやり過ごす。
  フラミンゴ達はさっきのスコールをうまくやり過ごしただろうか?
スコールの中をずぶ濡れになり、仔犬を抱えて歩いていった少女はあの後どうしただろう?
フラミンゴは昼寝のときも一本足で寝るのだろうか?
ピンク色のフラミンゴは一生、ピンク色のままなのか?

  そんな事をぼんやり考えていると、一組のフラミンゴのカップルが僕に話しかけてきた。
  「こんにちは」と彼の方が言った。
  僕も「こんにちは」と答える。
  「あなたはいつもここに独りでいるのね」と今度は彼女の方が言った。
  「うん、ここはとても眺めがいいからね。君達は何をしてるの?」
  「ここは私達の散歩コースなの。いつもこの道を通っているわ」
  「ふうん、それでこれから何処かに行くのかい?」
  「ええ、私達は今から帰るところなの」
  「そう、君達は何処へ帰るんだい?さっきのスコールは大丈夫だった?」
  「ああ、大丈夫だよ、いつもの事だしね。僕達は西に帰るのさ、西の空にね」
  「そうか、気をつけて」
  「ああ、君もね」
  それだけの会話だった。
 
  風が吹いてきて、椰子の実が揺れた。遠くで波の音が聞こえる。太陽が一日の仕事終え、帰り支度を始めていた。彼が大西洋の彼方にゆっくりと沈み始める頃、東の空では、既に夜の闇がその順番を待っていた。太陽と水平線とが出会い、その接点を拡げ、最大に達した後、徐々にまたその接点を短くしてゆく。そしてその接点が一点に集中したその瞬間、太陽と水平線の間から、一斉にピンク色のフラミンゴの大群が空に飛び立った。彼らが、空一面に拡がると、街は薄いピンクのベールに覆われて、染まった。それはほんの数分間の事だったけれど、それが僕の持っているこの街の印象の全てでもあった。
やがて彼らが西の空に溶けてゆくと、空には待ちかねた様に星たちが輝きだした。 さっきのフラミンゴのカップルはちゃんと皆と合流できただろうか?
彼らは今夜も一本足で眠るのだろうか?
スコールの中をずぶ濡れになり、仔犬を抱えて歩いていった少女はあの後どうしただろう?
  とにかく、僕にとってこの街はいつだってフラミンゴ色に染まっていたのだ。