「 ダサイン 」       
          ( ダサインとは、ネパール最大のお祭りでシヴァ神
             の妃であり、戦いの神ドゥルガの勝利を祝う宗教
             儀礼を行う祭りである )





  僕は、ある朝目覚めてみると、ヒツジになっていた。 ヒツジ?

  さらに僕は、ネパールの山奥の小さな村に居た。まるで意味が分からない。でもとにかく、僕はネパールの山奥でヒツジになっていたのだ。
  此処、ネパールにはたくさんの野良犬や野良牛や野良ヤギがいる。でも野良ヒツジは、いない。ネパールの人々は普段、犬やら牛やらヤギやらは食べないのだ。しかし、ヒツジだけは別だった。ヒツジは大概、羊飼いに飼われていて、その毛を刈られたり、時にはシチューにされたりするのだった。

  ヒツジになった僕は考えた。どうしたら人間に戻れるのか、いや、とりあえず人間に見つからないようにしなくては、と。そして僕は、僕のヒツジ分の脳みそで、精一杯考えに考えた。そうだ、とりあえず、ヤギになろう、ヤギになって人間の目をごまかそう、そうすれば少なくとも人間に食べられるのだけは免れるだろう。そうしよう。

  しかし、ヤギになるといっても、もちろん本当にヤギになれる訳ではない。ヤギのふりをしようという事だ。そして、ヤギの群れの中に紛れ込むのだ。しかしその為には幾つかの問題がある。
  まず、角だ。このクルンクルンした角だ。それと毛だ。このクリンクリンした毛だ。よし、角はとりあえず、とぼけよう。ヤギにだって色んな種類がいて、色んな角の奴がいるに違いない。よし、とぼけよう。あと、問題は毛だ。僕の体毛は決定的にくせっ毛だ。このくせっ毛をどうするか、だ。僕は、必死で体毛を櫛でとかしてみた。でもちっともだめだ。全然だめだ。伸びやしない。あっ、ひらめいた。体毛を一度、お湯で濡らしてから、櫛でとかしつつ乾かせば、ちょっとは伸びるぞ。でも、雨が降ったり、何時間も経つと、くせが出てきちゃうな。まあ、仕様が無い。この際、贅沢は言っていられないのだ。とりあえず、櫛を持ち歩く事にしてヤギ達の所に行こう。

  そして、僕は村のはずれにある、丘の中腹にたむろしていたヤギの群れの中に紛れ込み、ヤギの長老の所に挨拶に行った。
  「ヤアヤア、ヤギの長老さん、僕を仲間に入れてくださいな」
ヤギの長老はギロッと僕を見た。そして何も言わずに、僕の事をジロジロと観察した。あれ、ちょっと調子が良かったかな?
  「あ、あのう、なんとかお願いします。何でも言う事聞きますし、何でもしますから。はい」と、もう一度、今度は少し下手に出てお願いしてみた。
  「むぅ、それならば、まずちゃんとヤギ語をマスターしてもらおうかの。それが出来たら、考えてやってもいいぞ」
  ヤギの長老はもったいぶって言った。
  「分かりました。では早速ヤギ語を勉強させていただきますので、ぜひよろしくお願いします」と、僕は素直に返事をして、心の中でガッツポーズをした。 ガッツ。

  僕は早速、ヤギ語の勉強を始めた。幸い、ヤギ語とヒツジ語は元々非常に似た言語だったので、単語の語尾の変化や男性名詞、女性名詞の違いを少し勉強すれば、ほぼ、問題はなかった。ヤギの長老も、僕が真面目に語学の習得に取り組んでいるのを見て、その後は僕に何も言わなかった。   そうして、僕は暫くの間は何事も無く、ヤギの群れの中で平穏無事な生活を送る事が出来た。   ところがある日、僕を含めたヤギの群れが、村の近くの草原でむしゃむしゃむしゃとお昼ごはんを食べていると、一人の少年が群れの近くを通りがかった。彼はふと、足を止めてヤギの群れを眺めていた。すると、何かに気がついたような様子で、僕の方に向かってゆっくりと歩いてきた。僕は急に心臓がドキドキしてきて、思わず何処かに隠れようと思ったけれど、もう、今更下手な行動をとるとかえって怪しまれると思って、ごく、普通を装う事にした。その少年は羊飼いの少年だったのだ。彼は僕の目の前に立ちはだかり、僕に言った。
  「おい、お前ヒツジだろう」
  ずばり、ずばり言ってきましたよ、この人は。何のひねりもないな、と思ったけれど僕は、できるだけ平静を装い、
  「イエイエ、とんでもない。何をおっしゃいます事やら、僕はれっきとしたヤギです。何処にでも転がっている、ただのヤギですよ。羊飼いさん」
  そう言って、僕はその辺を少し転がってみせた。 ごろごろ、メエ。
  「そうかなあ?なんか変なんだよなあ、角の形がなんだか少し他のヤギと違うし、それにお前、少しくせっ毛っぽくないか?」
  「そんな事ないですよ、角には色んな形があるんです。それに確かに僕はくせっ毛ですけど、ヤギにもくせっ毛はいるんですよ。特に僕の場合は隔世遺伝なので、せが強いんです」と、自分でも訳の分からない言い訳をした。そして更に、
  「ほら、見てください」
  そう言って、自分の体にぺっ、ぺっ、と唾を吐きかけ、櫛で体毛をとかしつけた。一瞬の間くせは直ったけど、すぐに戻ってしまい、ほとんど自分でも無意味な行為にしか見えなかった。でも僕は、そこは強気で、
  「ほらっ、ほらねっ、ヒツジにこんな真似が出来ますか?出来やしません。だから僕はヤギなんです。ヤ、ギ。分かりましたか?羊飼いさん」
  羊飼いの少年は、うーん、と唸りながら、僕の周りをぐるりと一周して言いました。
  「うん、分かったよ。疑って悪かった。お前はどうやらヤギらしいな。うん」
  「イエイエ、分かっていただければ、それでいいんですよ。羊飼いさん」と、僕は答えた。すると、羊飼いの少年が言った。
  「ところで、もうすぐダサインのお祭りだな」
  「へっ?ダサイン?」
  僕はダサインのお祭りの事など何も知らなかった。
  「ダサインてなんですか?」僕は、少年に質問すると、彼は、
  「何言ってんだよ、ネパール最大のお祭りじゃんか」少年は続けて言った。
  「そのお祭りはヒンズー教の神々達に、一家で一匹のヤギを生贄としてその生き血を捧げ、日頃の感謝を表すんだ。それから、家族の長老から、お祝いの印のティカをおでこに付けてもらって、その後、みんなでヤギを食べるのさ」
  「エッ、マジですか?それって、マジですか?」
  僕は一気に血の気が引いて、顔面蒼白です。
  「マジだよ。ねえ、ヤギの長老さん。僕の言っている事はうそじゃないよね?」と、少年は近くで僕達の様子を伺っていたヤギの長老に確認した。
  「ああ、本当じゃとも、わし等ヤギにとっては、一年で一番つらい時期じゃ。毎年この時期になると、群れの若くてイキのいいのはみんな人間に連れて行かれてしまいよる。群れに残るのは年寄りと女子供ばかりじゃ。ああ、今年も、もうそんな時期になったかのう」
  そう言ってヤギの長老は少し悲しそうな目をして、どんよりと雲のかかった遠くの空を見上げた。
  それを聞いた僕は慌てて言った。
  「羊飼いさん、羊飼いさん、僕、ヒツジです。ヒ、ツ、ジ。やだなあもう、どっからどう見てもヒツジじゃないですかねえ。僕、何言ってたんですかね。冗談ですよ、ヤギだなんて。ほら、見てください、この立派な巻き角を。そして、このふわっふわな暖かそうな百パーセント天然ウールを」
  そう言って僕はまた、自分の体にペっ、ぺぺっ、と唾を吐きかけ、今度はくせっ毛を思いっきり出しました。すると羊飼いの少年は、
  「なんだあ、そうだよなあ、僕もそうじゃないかと思ったんだよ。よし、よし、じゃあ僕と一緒に仲間の所に帰ろう」
  そう言うと、少年は僕の角にぐるぐるとロープを巻きつけて、僕の事を引っ張っていった。僕は、やばいやばい、もうちょっとで生き血をチュウチュウされちゃうところだったよ、と思い内心ほっとしていた。   少年の家は丘の上にあって、そこに少年のおじいさんと少年とたくさんのヒツジの仲間が住んでいた。少年は、家に戻るとおじいさんに、
  「おじいさん、今日学校の帰りにヒツジを一匹捕まえてきたよ。そいつさあ、なんかヤギの群れの中でとぼけて草食ってたんだよね」と言った。するとおじいさんは、
  「そうかそうか、そいつは良くやった。じゃあ、今日は久しぶりにジンギスカンにでもしようかの」と言うので、少年は喜んで、
  「いいねえ、ジンギスカンいいね、おじいさん」と言って、涎を垂らした。 
  じゅる、じゅる。   一方、僕はそんなおじいさんと少年のやりとりがあるとは露知らず、ヒツジの仲間達の所で、挨拶などしていた。
  「ヤアヤア、みんな、ご機嫌はいかが?新しく入ったんだけどよろしく頼むね。どうぞ。ところで、もうすぐダサインだねー、僕達はヒツジに生まれてきてホント良かったよね。ああ、ヤギの奴らは可哀想だなあ」
  そんな調子のいい事を言っていると、少年がやって来て、まったく無言のままバリカンを使って僕の体毛をすっかりきれいに刈っていってしまった。
  「ウー、ぶるぶるぶる、寒いね、どうも。なんか一言くらい言ってからにして欲しいよね。まあ、これもヒツジと生まれたからには、宿命だと思って諦めるしかないよね。まったく。ぶるぶるぶる」
  僕が、あまりの寒さにぶるぶるしていると、再び少年がやって来た。僕は少年に、
  「ウー、これじゃあ寒いっすよー。ぶるぶるぶる、なんとかして下さいよー。ハロゲンヒーターとか無いんですかね。ぶるぶるぶる」と言ってみた。
それでも少年は何も言わず黙って僕の真横に立っていたので、僕は、少年の方を見上げてみた。すると少年の両手は僕の頭上高く振り上げられ、その;両手の先にキラン、と鈍く輝く光が見えた。
 
                       
  それが、僕がこの世で見た最後の光景だった。