あとがき












  僕達は日々、日常生活をくり返してゆく時に様々な事を考える。 僕はこの数年、「コミュニケーション」、もしくは「コミュニケーションの不在」についてよく考えるのだが、そこではいつも次の様な疑問が僕の頭の中で反芻される事となる。それは、   「文明は日進月歩で進歩し、コミュニケーションツールは発達する一方だが、人々はその事によって果たして本当に、本当の意味においてのコミュニケーションが取れる様になったのだろうか?」

  「世の中はますます便利になる一方だが、人々はその事によって果たして本当に心が満たされ、幸福へと近づいているのだろうか?」 という疑問だ。


  僕は今まで三十八年間ほど生きてきて、また十九年間ほど社会人をやってきて、
  「コミュニケーションて本当に難しい」と感じざるを得ない。
特に美容師なんて職業を生業としていると、常にヒトの目に晒されながら、尚且つ一人ひとりの人間とコミュニケーションを取りながら、手探りでその人の為にヘアーをデザインし、その人の目の前で形を創り上げていくことになるのだが、そのお客様と本当にきちんとコミュニケーションが取れたのかどうか、そのお客様が本当に気に入ってくれたのかどうか、それは、本当の事はその場だけでは決して分からないモノである。   また、ドレス(美容室)には様々な年代、性別、職業の個性豊かなお客様が何百人といらっしゃるのだが、その一人ひとりと真剣に向き合い、話をしていくと、本当に色々な人がいるのだな、とつくづく感じることになる。
  そして、そのお客様一人ひとりもまた、様々な環境に身を置き、様々な悩みを抱え、様々な事を感じながら皆、それぞれに他者との関わり合いの中で生きているのだ、ということも強く実感する。 そんな中、テクノロジーはこの十数年で劇的な変化を遂げ、携帯電話、インターネットは当たり前、メールやミクシィ、ブログ、ユーチューブ等々、様々なコミュニケーションツールが登場し、今や世界中の人々と瞬時にコンタクトを取る事が可能になった。そして人々は常に電波によって結び付き、ひと昔前に比べれば遥かに容易に他者とコミュニケーションを取る事が出来るようになった。   ここで初めの僕の疑問に戻るのだが、他者とコミュニケーションを取ることが容易になった事で、人々は皆、家庭の中でも職場でも学校でも、また電車の中でも歩きながらでも常に他者とコミュニケーションを取り続け、他者とつながっている事にやっきになっている様にも思われる。が、しかしその事によって果たして人々は、本当にお互いの理解を深め合う事は出来たのだろうか?という疑問だ。   結論から言ってしまえば、元々、「相互理解とはお互いの誤解の総体に過ぎない」、と言われている様に、自分自身の事すら良く分からず、ましてや人間自体が矛盾に満ちた生き物である以上、完全に理解し合う事など、テレパシーでも持ち合わせていない限り到底不可能な事であることは明白である。   ではここでもう一つの疑問だが、そのようにコミュニケーションツールが発達し、ツールを介してコミュニケーションを取り続ける事によって、人々は本当に幸福への道に近づいているのだろうか?という疑問だ。

  今年一年間(二〇〇七年)に起きた殺人事件の約半数は、親族間での犯行だったらしい。
また、恋人同士、元恋人同士、友人、上司や部下等々、とても身近な関係の中でこうした最悪な事件が多発している様に僕には感じられる。   何故? 何故、こんなにもコミュニケーションが取り易くなったにも関わらず、人々は誤解し合い、憎しみ合い、殺し合うのだろうか?
テクノロジーが発達し、世の中が便利になれば人々は幸福になれるはずではなかったのか?お金持ちになれば、物が豊かになれば、人々は幸福になれるはずではなかったのか?   もう一度、僕達は考える必要があるだろう。
  携帯電話を手にした事で、ミクシィやブログがある事で、僕達は今、目の前にいる人の事をおろそかにしていないだろうか? 
身近にいる人の事を本当に大切にしているだろうか?
目の前にいる人の事を、大切な人の事を、本当に理解しようと努めているだろうか?
本当に相手の事を親身になって考えているだろうか?
知らないうちに、大切な誰かをひどく傷付けてはいないだろうか?
自分の言った事、誰かと約束した事、本当にちゃんと守っているだろうか?
  時代が進化し、世の中が便利になっていく事はきっと、良い事なのだろう。しかし、携帯電話やメール、ミクシィ、ブログを通してコミュニケーションが取れていると思っているうちに、大切な何かを失い、大切な人との間に決定的な溝が深まっている可能性がある、という事を僕達は忘れてはならない。 一人ひとりが、正直に、誠実に目の前の人と向き合って生きていかないと、今後増々、日本の未来は暗いモノとなっていくだろう。   そのような事を考えているうちに「僕達の生活」は生まれた。

  この小説が読者の心の何処かに引っ掛かり、自分自身の事を振り返って考えるきっかけとなってくれれば幸いである。                                       



          二〇〇七年十二月二十九日    倉品幸司